医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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高齢者の終末に立ち会う機会-そうはいっても一年に3、4回だがーの多いわたしは、学ぶことがあるに違いないと表題の番組を見た。
今思い出しても後味が悪い。このような死の迎え方が尊厳ある穏やかなものとして、公共放送のプライムタイムでなぜ流されたのか不思議でならない。
高齢者施設で仕事をしている石飛幸三氏や中村仁氏が著書「尊厳死のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」や「大往生したけりゃ医療とかかわるな」で、老衰と呼んでいい最期は、すべての医療処置を止めるのが、患者にとって最も穏やかな死の迎え方であると強く主張しているのは知っていた。
死を迎える患者に対するかれらの対応に違和感を抱いて、以前BLOGで終末期にすべての医療処置を止めることと、最小の水分補給と酸素吸入をすることの両者を比較して、何もしないことが本当により穏やかな死を迎えると言えるかについて、比較研究をした上で結論を出すべきであると指摘しておいた。
番組の中で確か二人の高齢者の死に行く姿が描かれていたと思う。特に後者の例は、息子家族そして海外で学生生活を送っている孫なども病床にかけつけて、母親が全く医療処置を受けないで亡くなられるのに立ち会う姿が描かれていた。亡くなられたあと家族は穏やかな死を迎えたと感謝しておられた。医療スタッフと家族が信頼しあい、納得のうえで93歳の御母堂を見送られたという流れに、すべての情報が手元にない第三者がいろいろコメントすることは、ピント外れなことをいったり、当事者たちを無意識に傷つけたりすることがあるので差し控えるべきであろう。
しかし高齢者の穏やかな死について少しでも多くの人に議論していただきたいので、後味の悪かったことを2点だけ指摘しておく。何も状況を知らないで勝手なことを言っているとの抗議があればすべて公開する。
まず一点目は経口摂取ができなくなった時点で、水分補給も中止した。ただ好きだったアイスクリームを口元にもっていくと、映像からは唇でなめておられ、その後喉の動きから嚥下運動をおこしたように見えた。
意識がなくなり、食事介助で食事―多くの場合高カロリーの栄養ゼリーあるいは水分であるーを与えても口にためて込んで嚥下しない状況が数日続いた時点で、私どもは経口摂取ができなくなったと判断する。この患者の経口摂取が不可能になったという判断は何を基準に行われたのであろうか。いやこの判断に間違いがあると異議申し立てしているのではない。
経口摂取ができないと同時にあらゆる医療処置が止められたことについて議論したいのである。この夏も猛暑で熱中症のために高齢者の多くが病院に搬送され、少なからずの人が熱中症で亡くなられたと報道された。熱中症は脱水による臓器の血流低下と多臓器不全で、症状として主なものは、めまい、失神、頭痛、吐き気、強い眠気、気分が悪くなるなどである(Wikpedia参照)。
しかも水分不足が数日続いたのではない、1,2日間の水分摂取の不足で発症している。かくのごとく人間にとって水は命の元である。今回の高齢者も経口摂取をしないで、水分補給も全く受けなければ、素人が考えても水分不足による熱中症まがいのめまい、頭痛、吐き気、不快な気分が観察できるほどの症状がみられなかったとしても、あるいは訴えがなかったとしても、患者にあったと考えるのが妥当な判断であろう。水分補給も中止して、不要な苦しみを自覚しないまま与えた可能性について考慮されていたのであろうか。
意識もない、死も迫っている。熱中症のようなことが起こっても放置する、とても穏やかな死であると言えないと思う。経口摂取ができなければ、水分と最低限のNa+などの電解質を補うというのがわたしの方針である。(症例から学ぶ高齢者疾患の特徴とその対応 死の看取り p77-86参照)。熱中症まがいのことで患者を苦しめたくないからである。
もう一つは死期が迫り呼吸が荒くなり、看護婦かあるいは家族が足の変色に気付き、これは呼吸が十分でないための酸素不足ですというような会話がベッドの傍でおこなわれていた。明らかな酸素不足の兆候である。これを私たちはチアノーゼと呼んで、酸素補給を開始する目安の一つとしている。現在血中の酸素濃度は指で瞬時のうちに測定できる機械がある。そのような処置がなされた気配は全くない。私どもは酸素濃度が90%切れば酸素補給を開始する。
呼吸状態から見れば、健康な人が思い切り400m位を走った後の酸素濃度であったであろう。その息苦しさは誰でも想像できるし、想像できない人は400m走った時の、心臓の拍動と息苦しさを体験してもらいたい。
死に行く人だから400mを走った後の息苦しさくらいは我慢してもらうかというほど、ベッドの周りには切迫感がなかった。酸素の補給や呼吸困難の処置についても同上の本の中でわたしは記載した。わたしの処置と、映像で見る93歳の高齢者が受けている処置は余りにも違う。
高齢者で、老衰というしかない死は稀ではない。そしてそのような場合の尊厳ある穏やかな死について、仕事柄考えないことはない。
今わたしが一番心掛けているのは、死に向かう人が対処できる苦しみの中でー誰が死を前にして苦しみたいであろうかー命を終えることがないよう、最善の努力を払うことだけである。尊厳ある死は苦しみがあっては成就しない。穏やかにすることに工夫を凝らして尊厳のある穏やかな死のお手伝いができる。
わたしが行っている死に行く人に対する態度と、テレビで放映された状況があまりにもかけ離れていることが、番組終了後の後味の悪さの由来であろう。まだ指摘したいことはある。しかし素人の方に死の恐ろしさを植え付けることになるのを危惧して控えておく。ともあれわたし自身だけでなく身内も、芦花ホームで最期をを迎えることはない。
死に行く人に対して何も医療処置を行わないというのは、特養や老健のような高齢者患者の多い施設に限ったことではない。在宅での看取りでも行われている。急性期病院でも家族からこれ以上の延命処置は望まないという場合に行われていることがある。
死は避けがたい。ただ無駄な苦しみをとり、穏やかに天寿を全うできる手助けを、勝手な思い込みでわれわれの数少ない最後の務めを安易に放棄してはならない。いや今回の現場では無処置以外の対応の選択肢が思い浮かばないのであろう。NHKの番組を見て、死ぬことの恐ろしさを再認識した人は少なからずいたと思う。これは番組が伝えたかったメッセージとは正反対なことであろう。
しっかりとした医療監修者はNHKの医療番組制作スタッフにいないのか。偉い先生が後ろ盾になっているから安心だという安易な考えで、独りよがりな穏やかな最期を提案したのではないか。認知症に関する報道もしかりである。いい加減にしてもらいたい。籾井勝人会長の指示か?

by rr4546 | 2015-09-22 15:13 | 医療関係 | Comments(0)
西京区認知症協議会に出席した。宇治医師会の門坂庄三博士の認知症カフェの試みについての講演会の後に、西京区認知症地域ケア協議会世話人副代表の京都厚生園園長源野勝敏氏の司会で「西京区の認知症地域ケア、こんなんでいいんんかい?」と挑戦的な題のパネルデスカッションが行われた。
パネリストと演題は以下の通り。
実行委員会の委員長医師土井たかし氏「西京区認知症地域ケア協議会の歩み」、家族の会ますかっと代表竹原千恵子氏「介護の合間にちょこっといける会の歩み」、民生委員の山口正孝氏「地域の民生児童委員として「認知症高齢者が安心して暮らせる地域」つくり」、地域包括センター主任介護支援専門委員川村佐和子氏「認知症の方の相談から」、西京区役所福祉部長神谷佳孝氏「京都市のとりくみ」である。案の定現在認知症患者のために一番奮闘している介護士のパネリストはいなかった。
民・官やボランテイア団体あげてのオールキャストたちによる「西京区の認知症対策」の総括であった。
耳をカッポ開いて聞いたが、どのような成果を生み、現在どのような問題点があるのか、今後どのような方向に向かう努力を払うべきかについて、参考になることはわたしには何もなかった。わたしが十分理解できなかったのかもしれない。
認知症医療の発表の不満に限るが、早期診断と称しての過剰診断(誤診の乱発)、Alzheimer型認知症と他の認知症との鑑別診断の曖昧さ、一般医家、専門病院、精神病院の患者たらいまわしによる患者の不利益(次回のコウノメソッド雑感で詳述するが、認知症医療は認知症患者の正しい鑑別診断とBPSDの治療だけである。認知障害の治療は不利益のほうが多いので適応は少ない。治療を行っても社会復帰やまともな家庭生活を送れない。介護の充実が一番有効である)に対する無頓着、認知症患者を診ている医師の介護の内容や有用性に対する無関心と、今すぐにでも解決しなければならない喫緊の課題に対する提言はなにもなかった。地域では認知症患者が十分診られる体制が整えられているとの自画自賛であった。他の部門の発表に対する不満も後日聞いた。どこからこの自信は来るのであろうか。患者はいろいろなところで拘束に近い虐待を受けているのに。嗚呼!
偶然門坂博士が講演終了後、わたしの席の横に座られ、名刺を交換した。認知症への偏見をなくそうとの司会者の発言を聞きながら、われわれは病で苦しんでいる隣人に、やさしく接しこそすれ、偏見を持つほど冷たくないですねと、話しかけたら、先生も深くうなずいておられた。いや認知症は本人が自覚する前に、会社の人や家族が今までできたことができなくなることによって、認知症ではないかと発見される例が大部分である。自己申告でAlzheimerと診断される例はほとんどない。認知症をカミングアウトすることの困難さが論じられていたが、実体に即しない偏見が真面目に取り上げられているのもおかしいですねと話しかけておいた。
NHKの9月8日夜10時放送の「アルツハイマー病の進行をくい止めている患者の秘密を大公開」で、同じように若年性アルツハイマ型認知症患者がカミングアウトして社会の理解を得て仕事を続けているとの話を聞いた。若年性アルツハイマー病が7年間安定しているとのこと。誤診であったに過ぎない。もしこの症例がAlzheimerで抗認知症薬と積極的な社会参加で進行が長期に食い止められたと信じたら、影響力の大きい一般視聴者向けの公共放送で発表するのではなく、学会誌、絶対に欧米の学会誌に報告して批判を仰ぐべきである。短期記憶障害や遅延再生が犯されるので、おかしいとの病識が持てないのがアルツハイマー型認知症の特徴の一つである。記憶が失われれば、可笑しなことをした(記憶の総体である)との病識が生まれないのが一般的である。
産業医の更新研修会(8月22日、京都医師会館)-恥ずかしながら小生産業医でもあるーで、京都府立医科大学の認知症学の権威である成本迅博士が、豊富な臨床経験から、若年性アルツハイマー型認知症は抗認知症薬が無効で、病状の進行も早く、産業医がよほど雇用者の理解を得る努力をしないと、就労継続支援は難しいと「若年性認知症の早期発見と就労継続支援について」で強調された。NHK放送内容と成本博士の講演内容の違いに愕然とした。素人いや不勉強な医師はNHK放送の主張に勉強もしないで従順である。それを知って番組制作をしている。嗚呼!
テレビ出演した若年性認知症患者が認知症カフェで、早期診断と早期治療を受けて社会参加を積極的にすると、認知症は増悪しないと、薬屋の支援で講演旅役者にならないことを祈る。すでにそれをしている。自治体活動やスポーツクラブのリーダーだった人でもAlzheimerを発症することがある。
患者のパートナーも以前患者夫婦と同じように能弁であった。アルツハイマーも早期診断と早期治療で進行が抑制できると数年前にNHKが盛んに放送していた内容と同じ内容の番組が、お化けのごとくよみがえって今取り上げられる。臨床の現場ではAlzheimerと誤診して、抗認知症薬が効いた効いたと言われている例はかなりある。嗚呼!
抗認知症薬の効果はわずかで、有意差のあるのは一種類のみ。BPSDを複雑にしている薬のうちで抗認知症薬がトップであると若い認知症専門医は議論しているというのに(第111回日本精神神経学会「アルツハイマー病におけるsymptomatic drugの使い方と使い分け」シンポジウム、2015年、6月)参照。NHKは医療マフィアの推薦する人の意見しか聞かない?。なにか背筋が寒くなった。薬だけ売れて、介護を必要とする認知症患者が溢れるという事態を誰が望んでいるのであろうか。いや認知症カフェを舞台にして、医師と製薬会社がタッグを組んで、過剰診断(誤診も含む)と無駄な投薬治療がますます行われるであろう。そんなこと知るものかと、わたしの知っている認知症あまり実態に即さない治療やBPSD治療のガイドライン作成に携わっている著明な権威も言いはなった。その際も背筋が寒くなった。わが国は医師会と製薬会社から独立した(影響力を排除した)高齢者を診る世界の誇っていいシステムを持っている。何故それを生かさないのであろうか。何故それを発展させる方向の努力が払われないのであろうか。
フロアーからわたしは質問した。わが国が取り組んできて成果を上げてきたのは、デイサービス、デイケアそして自宅復帰を目的とした老健施設での認知症患者の介護と医療である。多分、認知症患者を日常的に一番大人数見ているのは現在のところ老健施設のスタッフだと思う。認知症のような神経疾患は偉い、患者をロクに見ていない権威の講演を聞くより実際の症例に接して学習することが一番手っ取り早い。いや話を聞いても十分知識が身につかない。患者と直接接すれば偏見もなくなる。今まで15年かけて築き上げてきた世界に誇っていいこの場を、啓蒙や学習の場として利用するべきではないか。中学生の職場体験や、外国人の短期のボランティア活動にも広く利用されている。患者の症状を複雑にしているのは医師の診断と処方である場合が多いことも学べるはずである。具体的な例を挙げかけたが・・・。今はやりの認知症カフェも、認知症患者を扱い慣れた介護士たちの技を活用するべきである。新たなインフラを作れば船頭多くして、船陸に上るような混乱を生む。無駄な投資(国は認知症カフェに補助金を出している。企業も一部で協力している。嗚呼!)を生む可能性がある。薬屋の格好の活躍の場になるであろう。実際すでにそうなっているカフェもある。500人?近い聴衆の一部の方は拍手してくださった。会の終わった後にも数人の方が、どこで働かれているかとすがるように声をかけられた。
他の詳細は西京区認知症ケア協議会のface bookに載っている。是非参照されたい。
この官・民あげた認知症協議会の影の世話役は案の定、エイザイであった。
帰り際、協議会の会長で西京区医師会長のK先生と一緒であった。「先生利益相反ということを知っている。一般向けの協議会も症例検討会も抗認知症薬を売っているエイザイ(アリセプト)とメマリー(第一三共)の援助を受けている。前にも言ったように今薬屋との関係で利益相反を疑われるようなことをするとヤバいですよ」。先生はおおらかな人で笑って何を言っているのかという表情をされて颯爽とバイクで家路につかれた。ただ老健を活用した認知症対策を構築すれば、名医師会長として名を残しますよと囁いておいた。
おかしなやつと嫌われたくないが、患者の不利益になると思ったことは指摘し続けるつもりである。
会場で撮った写真を一部載せておく。役人まで来ている一般向けの会に、アリセプトのパンフレットが展示してある。製薬会社のスタッフが7,8人受付で働いている。主催者も製薬会社もこのことを異常だと思わない。国が指導するべきである。公的な協議会にいつも認知症治療薬を売っている製薬会社がスポンサーとしてついている。多くの人が患者に役に立たないマインドコントロールされるはずである。嗚呼!
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by rr4546 | 2015-09-06 00:34 | 医療関係 | Comments(0)