医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

<   2012年 04月 ( 3 )   > この月の画像一覧

ボーデン氏の告白本は、誤診から始まった患者の苦しみが書いてあるだけであるとの感想を書き始めた。その根拠はこれから書く。その際、公共放送の認知症関連番組に出ている認知症患者も誤診の可能性があることを指摘した。暇な人がいるのであろう、過去に出演した3人の認知症患者の連れ合いが何とも楽しそうに、認知症患者の介護にについてTVで鼎談しているDVDを送って下さった。若年認知症であることは間違いがないということを伝えたかったのであろう。再生したが、レビーの患者が、お皿の上に虫がいると訴える姿が映っていたが、これは幻視ではなくて、失認の症状と判断するべきだと思う。幻視は血だらけの娘が私を迎えにきたと、だれも見えない情景を実に鮮明に訴えるのを特徴とする。物を見ながら、他のものに見えるという訴えは幻視ではなくて失認だと思う。この患者が、レビー小体型認知症の発見者のK博士の診察場に行く姿を以前TVで見た。最近レビーはパーキンソン病の一つの亜型で、歩行障害を必ず合併することがわかっている。診察のために主治医に駆け寄る姿には、レビーとは明らかに違う歩行の姿が映っていた。ただ薬が効いたことを主治医と患者が喜んでいた姿が印象深く描かれていた。他の例も若年で発病して10年たっても、夫婦との会話が持てる例、診断後、ランニングに励み、職探しをする例も、わたしの経験する患者とはかなり違う臨床経過を示している。この番組を見ていると、日本では10年前から認知症の早期診断・治療そして介護の方法が確立されていて、今世界中の有能な専門家が日夜、早期診断と治療の開発に取り組んで、いまだによい成果が得られないで苦闘している状況と余りにもかけ離れていて、奇異な感じを持たれた方もおられるのではないだろうか。
認知症治療の日本のリーダのお一人である鳥羽研二博士は、機能獲得年齢で認知症の重症度を分類して、軽度は8歳から思春期、中度で5―7歳くらい、重度で4歳以下の日常活動能力や認知機能しかないとしている(同上)。彼らは発病後時期からすれば中程度以上で5―7歳くらいの能力、場合によってはBPSDが出て家族を苦しめているはずであるが、彼女たちは一様に明るかった。私には異様に思えた。患者も公開の場で自分のことが語られるのを望んでおられるのであろうか。極めて非定型的としか言えない経過を示す症例をTVという影響力の強い場で語る意図は何であろうか。
わが国もまだ、認知症の早期診断や治療は手探りのはずである。プライマリー・ケア医が困ると精神科に紹介して、精神科で亡くなる認知症患者がいる。10時10分が書けないからと認知症と診断するドクターが町に溢れている。認知症患者の接し方が判らず、望まないのに患者を虐待まがいに扱ってしまう。時には、患者を道ずれにした殺人事件まで起こっている。患者家族は孤立して、精神的にも肉体的にも追い詰められて、仲間と苦しみを分かち合わなければならない。現在のわが国の直面している認知症患者にまつわる、医療・介護も、3人が語る状況とは全く違うように思う。少なくともわたしの知る範囲では。
認知症と生活して二人の絆が深まったとの発言も、身内に認知症患者がいて苦しんでいる人たちに、どうして私はあの人たちのようにできないのかと、一層の自責の念を植え付けたに違いない。ボーデン氏の本と同じ影響力があったと思う。出来ないのが当たり前なのに。話慣れた3人の姿を見ていると、色々なところで認知症患者の治療と介護の在り方について講演されているのではないかと意地悪な想像もした。彼女たちの鼎談は、ボーデン氏の本と同様、認知症の正しい理解を促すというより、患者や家族の苦しみを倍加させる、極めて悪質な啓蒙TV番組であったと思う。
わが国には、医療という名を借りて、そこまで国を食い物にしていいかと思う企業活動を助言するコンサルトがいるように、わたしには思えてならない。この医療マフィアの存在についてのわたしの妄想は、日を改めて書く。公共放送が取り上げた薬は、品切れを来すことは稀ではない。そして副作用も知らずに、主治医にその薬を強要して死亡したと思われる例もあるのである。公共放送のスタッフも、自分たちの影響力に謙虚になって、医療マフィアの片棒を担ぐような番組作りは慎むべきであろう。もっと現場で地道な情報収集をして、高名な医師の意見ばかりを鵜呑みにしないで、本当に解決すべき問題点は何かを伝える努力をするべきであろう。医療の素人が、魑魅魍魎の跋扈する医療界を取材するときは、よほど勉強して注意を払わないと知らぬ間に、とんでもない片棒を担いでしまうこともあるであろう。
続く

by rr4546 | 2012-04-26 16:44 | 医療関係 | Comments(1)
アルツハイマー型認知症の早期診断はPETなどの最新画像分析やあるいは分子マーカーを使っても難しいということを繰り返し指摘してきた。マスコミなどで紹介されるアルツハイマー型認知症患者も、かなりの例がうつ病、慢性アルコール中毒、非定型的認知症(精神疾患?)ではないかとの印象を述べてきた。しかし臨床の現場では、現在も各種の認知障害が安易に認知症と診断され、その診断のもとで治療が行われている。老年期うつ病(うつ状態)、慢性アルコール中毒、詐病、脳血管性(多発性ラクナ梗塞)そして加齢随伴認知症をアルツハイマーと診断している例に嫌になるほどお目にかかる。誤診の可能性は、認知障害が1,2年安定し、画像診断でも海馬の萎縮の進行を認めないことから診断している。早期診断・早期治療、認知症新時代とうたって公共放送が紹介した症例のその後の経過をみれば、想像以上に誤診されている場合があるのではないだろうか。その中で私がよく経験するのは、うつ状態をアルツハイマー型認知症と診断されている場合である。
アルツハイマー型認知症の初期症状は、うつ状態もあるが、物忘れドッグを長く開いている武田病院物忘れドッグが出している情報では、アルツハイマー型認知症の初期症状として家族が気付いたものとして1.同じことを言ったり聞いたりする、2.物の名前が出てこなくなる、3.置き忘れやしまい忘れが目立つ、3.以前あった関心や興味が失われる。4.日課をしなくなる、5.だらしなくなる、6.時間や場所の間隔が不確かになる、7.計算の間違いが多くなる、8.財布を盗まれたと言う、9.怒りっぽくなる、10.蛇口やガス栓の閉め忘れが目立つ、11.道に迷う、12.複雑なTVドラマが理解できないなどを挙げているが、うつ症状については全く触れられていない。私が診ている中等度から重度の認知症患者の家族から聞く初期症状も、書類の整理が出来なくなる、料理や家の中の整理の段取りが悪くなる、電話対応やお金の管理が頓珍漢になると、体験記憶障害から来る脳での情報伝達機能と実行機能障害によってもたらされた症状ばかりで、うつ状態が初期症状であったとの話は聞いたことがない。また国をリードしている認知症の専門家もアルツハイマーは愛想がよく、取り繕いがあるが、意欲低下や抑うつは軽いと解説している(鳥羽研二  認知症の診断と非薬物性治療について 老健 22:18-25.2010)。私もアルツハイマーの患者は病識を持たず、幼児のような無垢な感じを醸し出し、愛想が結構いいので鳥羽博士の解説は正しいと思う。勿論お預かりした当初はBPSDがあって、徘徊、易怒性、介護拒否、妄想などで手がかかるが、介護士たちの献身的なケアによって落ち着かれると、大抵の症例は、いいお爺さん、お婆さんでうつ症状があって困った経験はほとんどない。記憶障害があり自分の思ったことが出来ないと、気分が滅入り落ち込んだりすることは容易に想像できるがーきっとそういう心の葛藤はあるであろうー、うつで認知障害に発展して認知症と診断された例はそんなに多くない印象である。
一体、うつ症状がアルツハイマーの初期症状であると誰が言い出したのであろうか。多分多くの物忘れ専門医は、現在でもうつ症状がアルツハイマーの主要な初期症状と信じていると思う。誤診のかなりの例がうつであるから。
実際私が認知症患者を診るようになった4,5年前は、早期診断・早期治療が最もホットな話題で専門医たちから認知症の早期診断の方法についてよく話を聞いた。その時は必ずうつが初期症状の一つであることを耳にタコが出来るほど聞かされた。脳が壊れていくので、情緒が不安定になり気分がすぐれないからそういうことになるのであろうと、専門家の教えを拝聴していた。老年期うつ病と認知症のうつ症状の鑑別診断についても教えられた。それほどうつが認知症の初期症状として強調されていたのである。今も。
うつ症状は本当に、アルツハイマーの早期診断として見落としてはならない重要な症状なのだろうか。自分のささやかな経験からも、うつ状態そして認知障害と進んだ例は稀であることは前に述べた。うつが認知症の発見の手掛かりになる例はないとは言えないが極めて稀であろう。これも先ほど述べたが、うつを、アルツハイマー型認知症と誤診されている症例にたびたびお目にかかって往生している。
「私は誰になっていくの? アルツハイマー病者からみた世界」を読んで、初めて、アルツハイマーの初期症状がうつであるとの神話が作り出された経緯がよく理解できた。今でも判を重ねているこの本は、46歳でアルツハイマーと診断されたオーストラリアの政府高官であったクリスティーン・ボーデン氏によって書かれた本である。認知症であることをカミングアウトして、患者自身が心の葛藤を率直に書いた本として、認知症専門医の間でも評価の高い本である。初期の認知症患者の心の中を論ずる際に、今でも専門家だけではなく、マスコミ関係者からもバイブルのように重宝がられている。
私も最近手に入れて読んでみた。しかし、この本がアルツハイマー型認知症患者自身の心の正直な告白として、批判もされずに長い間、多くの人に読まれていたことに驚きを禁じ得なかった。この本はアルツハイマー型認知症の早期診断がいかに難しいかを示しているに過ぎない。後述するが、著者自身もアルツハイマーと診断されていたが、最終的には前頭側頭葉型認知症(Pick病)であったことを正直に記載している。Pickの診断も、本の内容からするとかなり疑わしい。何せ認知症と診断されてから、再婚して穏やかな家庭を築いているからである。私が読み取ったポイントは次回書く。
この本はアルツハイマー患者に益することは何もなく、多くの不利益をもたらした可能性があることを指摘しておきたい。アルツハイマーはそれほど深刻な病気ではない、対応によってはかなりコントロールできる。あるいは認知症患者のケアで疲れ果てている家族に、身の回りの患者はどうしてそんなに訳がわからないことを言うのかと、虐待まがいの介護を創り出した可能性があると思うから。ボーデン氏の冷静な振舞いと、身内の患者の振舞いが余りにも違うから、家族は感情的にならざるを得ない。
結論だけを先に言うと、この本はアルツハイマー型認知症患者の書いた本でないと私には思えると言うことである。
続く

by rr4546 | 2012-04-20 12:44 | 医療関係 | Comments(0)
中村仁一氏の著書「大往生したけりゃ 医療とかかわるな 『自然死』のすすめを」の第一章は「医療が穏やかな死を邪魔している」、第二章は「『できるだけの手を尽くす』は『できる限り苦しめる』」と副題が付けられている。氏の主張の本意は本を読んでいただく他ないが、表題を眺めただけで、現在一般的に行われている高齢者医療に対する厳しい批判であることは大凡見当がつく。かなり共鳴しているわたしの行っている高齢者医療は、拙著「症例から学ぶ高齢者疾患の特徴とその対応」(金芳堂)に書いてある通りで、中村氏の主張に肯けることもあれば、肯けないこともあり、矢張り直接本に当たって、どこが違うのか、どちらが高齢者にとって望ましい対応かについて多くの方に議論していただきたい。一例をあげれば死を看取る際の酸素補給、水補給そして電解質補給は全く異なっている。                                      しかし、今でも行われている経口摂取の再開が望めない、患者の意思の確認なしの胃ろう造設、余命から考えて新薬の効果が出る頃は、亡くなっている確率の高い高齢者に、副作用もはっきりわかっていない新薬の投与、90歳を超える高齢患者に、認知症進行防止薬をはじめ10種類以上の投薬を行っている現役の医師が、中村氏の問題提起に、「医師にあるまじき医療行為だ」、「彼のやり方は命の尊厳を損なっている」、あるいは「彼のやり方を一般化すると、一種の優生思想がはびこり世の中が荒廃する」等何でもいいから一言あってもいいと思うが、わたしの知る範囲内では、臨床の現場から何かコメントが出されたということを寡聞にして知らない。中村氏の言い分は理解できるが「やった振りをしておらなければ、医者の立場がないではないか」と投げやりに思っている同業者もいるかもしれない。しかし反批判がないことに、わたしは異様なものを感ずる。変わり者の医師のたわごとで、取り上げるに値しない。「医療の落とし穴」で指摘したように、「私の医療こそ高齢者のための最高のものである」と信じている善意の塊リの医者もかなりいる可能性も否定できない。彼らが「自分のしていることは俺の頭の中にある」として自分の医療内容を論文にしたり、発表しないので、わたしのような同業者でも中村氏と異なった医療を行っている同業者の心の中を慮ることはできない。いや共鳴したから、中村方式に変えて高齢者医療に取り組んでいるという方もいるかもしれない。それも気持ちが悪い。どうして高齢者医療について、もっと皆が真剣に議論しないのであろうか。「すべて私の頭の中に入っている」などという医療関係者に、これから大変な事態を迎える高齢者医療を丸投げしておくのはよくない。もっと真面目に客観的な評価に耐えうる「高齢者医療の在り方」について、国民全体で議論を重ねておくべきであろう。僭越な言い方をすれば、わたしが「医療の落とし穴」で指摘したことを踏まえて、今後の望ましい高齢者医療について皆で考え、多様なオプションを専門家集団は示す義務があると思う。                  偶然だと思うが、日本老年医学会が本年の1月28日付けで「『高齢者の終末期の医療およびケア』に関する日本老年医学会の『立場表明』」という、終末期を迎えつつある高齢者に最善の医療およびケアを提供し、家族の心の平安を保障するのを目的とし意見表明を出した。詳しく知りたい方は日本老年医学会のホームページを参照されたい。11の立場が述べられている。どの立場も至極もっともで、この程度のことが今までしっかり議論されていないで、高齢者医療が行われていたのには驚いた。今さら専門家集団が取り上げるほどのテーマを含んでいるようにはわたしには思えないが、巷間、胃ろうなどの不自然な医療行為を中断してもよいとのお墨付きを与えるために出されたと理解されているようである。
念のためにすべての人が「最善の医療およびケア」を受ける権利を擁護・推進するために指摘された立場は以下のとおりである。
立場Ⅰ 年齢による差別に反対する 立場2 個と文化を尊重する医療およびケア 立場3.本人の満足を物差しで 立場4 家族のケアも対象に 立場5 チームによる医療とケアが必要 立場6 死の教育を必須に 立場7 医療機関や施設での継続的な議論が必要 立場8 不断の進歩を反映させる 立場9 緩和医療およびケアの普及 立場10 医療・福祉制度のパラダイム変換を 立場11 日本老年医学会の役割
ともあれ医療の世話になる高齢者は、爆発的に増え、自分自身も老いて死を迎えなければならない以上、死の迎え方について、いろいろな意見を出し合い、腑に落ちる考えを持ちたいものである。そうでもしておかないと、大往生できないではないか。
82歳、男子T氏が頻尿を来して、先端医療に取り組んでいる評判のいい総合病院に出掛け、前立腺肥大を指摘され、一部癌化の恐れもあると精査を勧められた。その際念のために検査した心電図で冠不全が指摘され、循環器内科を紹介され、高血圧と冠拡張の治療を受けることになった。つき添った家族が最近、この人の物忘れが激しいと訴えたところ、神経内科に廻され脳のMRI検査を受け、多発性ラクナ梗塞と同時に海馬の萎縮も認められるので、認知症進行予防薬の投与を受けることになった。今まで普通に日常生活を穏やかに送っていた高齢者が、総合病院を訪れたばかりに、多臓器に異常を持つ病人にされてしまった。75歳を過ぎれば、精査をすれば多臓器に異常が見つかるのは当り前であるが、それ以降は、T氏は病気療養を中心に生活を送ることを余儀なくされた。高齢者がうっかり、最先端の医療に取り組んでいる所を訪ねると、こういう事態を招くことは稀ではないかもしれない。ただ医療を中心とした老後を送ることを望まれる方もおられるであろう。                                                                 しかし、このような老後の送り方は多くの方が望まれないのではないだろうか。そこで前回は在宅医療について、問題点を指摘しながら紹介した。今回は老健と特養での高齢者の医療・介護の問題点とよい点について紹介しておきたい。年齢を重ねることによって、色々な所にガタが来ても、穏やかな生活を送るところがなければ、老いることはあまりにも悲しいことだと思うからである。幸せなことにわたしたちは、大往生できる素晴らしい場所を持っている。    入所判定 No2.

by rr4546 | 2012-04-03 14:11 | 医療関係 | Comments(0)