医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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 5月27日、本が出来上がったと編集者の方が、夕方職場まで持ってきて下さった。よりよい高齢者医療を作り上げるために役立てたいので、一人でも多くの人に読んでもらう努力をしなければならない。本屋に並んだりAmazon(予約の案内は出ている)に載るには、今しばらく時間が必要のようだ。金芳堂、紀伊国屋書店そしてe-honからはネットで直接買える。ともあれ、高齢者医療に誠実に取り組んでおられる先生方へ献本だ。
T大学医学部
加齢医学講座
老年医学
M.A先生
    御侍史

 突然のお手紙で恐縮です。
 小生現在、独立型老健の施設長をしています。
 たびたび先生の御講演をお聞きして、先生がいつも高齢者の立場に立った、投薬や降圧療法の原則をお話になるのを感銘深く聞かせいただいています。多くの講演が薬屋のプロパガンダであったり、実際の臨床とはかけ離れた、まだ問題の多い治療法の紹介であったりするのとは、極めて対照的です。
 先生のお話などを参考に、高齢者医療はどうあるべきかを、老健施設で経験した症例を中心に、「症例から学ぶ高齢者疾患の特徴とその対応」(金芳堂)という本にまとめました。
 色々不十分な点が多いことを自覚していますが、本を書き上げ、超高齢社会を迎える私どもにとっての良い高齢者医療のモデルの一つが老健医療ではないかと考えるようになりました。
 是非ご一読いただき、ご意見を頂ければと思い、献本させていただきました。
 お忙しいことと存じますが、よろしくお願い致します。
 先生の益々のご発展を祈念いたしています。



 老健医療は高齢者医療の一つのモデルになる?
 老健施設に勤めて5年が経過した。幸い5分間の外来での診察や、安易に専門医療機関に紹介するのではなく、24時間、最低1カ月間、同じ患者を二人の医師(私の施設は2人の医師で診ている)で診療するおかげで、壮年期とは違った高齢者疾患の特徴を多く学び、専門医療機関の受診のタイミングや、高齢者ならではの投薬のさじ加減を自分なりにマスターできた。既往歴から聞き取った現在一般的に行われている高齢者医療とは、趣がかなり違う。幸いその成果を、寮隆吉著「症例から学ぶ高齢者疾患の特徴とその対応」(金芳堂)という題の本にまとめて、6月1日に上梓した。
 80歳以上の患者が次々医療機関を訪れ、診療を行わなければならない状況は、私たち医療機関係者も初めての経験ではないだろうか。密室に近い状況の中で、不老長寿や似非健康を目指して検査の検査や、新薬の投薬が行われている現況は必ずしも健全ではないと思う。出版した本には、臨床の場でよく経験する症例にどのように対応したかの実際が書いてある。高齢者を診る医師すべてが、自分の行っている検査や投薬内容を明らかにし、複数の医師でその内容を検討して、望ましい高齢者医療を作り上げる時がきていると思う。
 高齢者の高血圧の特徴、虚血性心疾患や両側頸動脈狭窄のある場合の過剰の降圧はむしろ合併症を増加させるJ型現象への対応、作用機序の違う降圧薬の選択の基準について解説した。血圧は下げればよいというわけではない。また服薬アドヒアランスが低い高齢者の糖尿病治療の際のインスリン分泌薬とインスリン抵抗改善薬、糖新生抑制薬、糖吸収阻害剤の使い分け、認知症の簡便だが正確な診断法、そして認知症患者に合併するBPSDの対応について詳述した。現在重度の認知症患者は精神科医が診ているが、プライマリ・ケアを担当する医師で十分対応できる、いや対応するべきだということを指摘した。多診療科の受診は知らず知らずのうちに、患者に不利益をもたらしている場合が多い点も症例を上げて示した。古くて新しい、私たちが余り処方しなくなった、世界中で今でもよく使われている降圧利尿薬、ACE阻害剤、抗血小板薬としての少量アスピリンそして糖尿病治療であるメトフォルミンは、わが国の高齢者にも有用な薬であることも強調した。
 高齢者医療はcureからcareに重点を移さなければならない時が来る。看取りの経験から、安楽死に手を貸したり、死期を早めないcareについても私見を述べた。careを行う時期について国民全体で議論するきっかけを作るのも、私たち医師の務めであろう。勿論、高齢者によくみられる心疾患、呼吸器疾患、血液疾患、意識障害、皮膚疾患、電解質異常そして蜂窩織炎やノロウイルスなどの感染症についての診断と治療のポイントも解説した。高齢者に重要な、口腔ケア、褥創対策そして食材の選び方についても書いた。
 高齢者は今後ますます増加し、25年先には国民の30%近くが65歳以上の高齢者になると予測されている。私たち医療者はその時のために、質の高い高齢者医療を今から準備しておく義務があるであろう。そのために今回の本が役に立てばこんなに嬉しいことはない。色々制約の多い老健医療から、将来の望ましい高齢者医療の構築のヒントを学ぶことができる。


by rr4546 | 2011-05-30 15:58 | 医療関係 | Comments(0)
 石原慎太郎氏は、先日の都知事選挙で260万票ちかくを獲得して4期目の都知事に就任した。当選した際はテレもあったのであろう、「昔の名前で勝ちました・・・」と歌謡曲の一節を披露して勝利宣言をした。閣僚が背広姿になったが、そんな気持ちになれないと防災服でインタビューに答えていた。選挙前に「核武装は必要だ」とマッチョな発言をしていたが、原発事故に対してどのようなコメントをしたかマスコミからは伝わらなかった。
 わが国は本音はともあれ、建前は非核三原則を国是としている。岡田克也元外務大臣は、諸外国との首脳会談では必ず核兵器廃絶を訴え、核兵器を持たない国の指導者がなぜこれほどまでに、核兵器廃絶に拘るのかと訝られていると報道されていた。唯一の被爆国であるわが国のミッションの一つに、核兵器の怖さを語り続けることがあると私も信じているので、個人的には岡田氏の外交努力を評価していた。その上、バレンタイデーの贈り物も送り主に返しているとの彼の気まじめさと潔癖さに好意を抱いていた。愛読書はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」との発言も、岡田氏を将来の日本のリーダーの一人としてあげてもいいかと、個人的には思っていた。
 しかし都知事選挙の際の、民主党幹事長岡田氏の対応にはがっかりした。政権与党の大幹部が首都の指導者を選ぶ選挙を前にして、「石原慎太郎氏がたつかどうか、判らなかったので、対抗馬が決められなかった」と発言した。彼は愚直に世界のリーダーたちに核兵器の廃絶を訴えていた。彼も、石原慎太郎氏が「日本は核武装をするべきだ」と発言していたのを知っていたであろう。もし岡田氏の政治家としての信念の一つが、核兵器の廃絶を実現することであるとすれば、わが国の首都の首長が、自分の政治的信念に反する発言を繰り返せば、政治家としては命がけで石原氏の対抗馬を探すべきであったと思う。敵前逃亡したのである。信条を相いれない首都の長の誕生に、闘う前から白旗を上げていては政権与党の幹部としては失格である。民主党の若い代議士は、次回の選挙は絶対に落選すると、自らの首をなでていることであろう。この顛末を聞いてから、彼に対する評価は全く変わってしまった。
 もし適当な候補がなければ、政治生命を賭して、自らたって、石原氏の再選を阻む行動に出るべきであった。よしんば落選し、しばらく冷や飯を食ったとしても、再起するに十分な若さである。核武装をするべきだと発言する人物に対抗してこそ、核兵器を廃絶するべきであるとの彼の信念が本物であったと世間から認知されたであろう。核廃絶の思いを、世界中に伝えることができたであろう。残念でならない。石原氏は核武装をするべきだとこれからも繰り返すであろう。高齢者の頑固さは箸にも棒にもかからない。高齢者と日常的に接触している私の実感である。その発言に対して、今後どれだけ厳しい態度で臨んでも、岡田氏の信念は国民に伝わらないであろう。いやむしろ岡田氏はきれいごとを言っているけれど、本音は核武装論者だと陰口を叩かれることを甘受しなければならないであろう。世界の首脳たちは愚かではない。都知事の発言に対してあなたはどのように対応したのかと問われたら、沈黙するしかないであろう。その光景を思い浮かべると滑稽ですらある。
 東国原氏は何を掲げて都知事候補に名乗りを上げたか知る由もない、勝つとの世論調査の結果はなかったが、立候補した。首都をどのようにリードしたいかという政治信念があったのであろう。政権与党を預かる幹部の取る態度と極めて対照的であった。政治家は、勝ち負けで出処進退を決めるのではない。自分の政治的信念に基づいて、行動するべきである。これが優等生の官僚的判断と、政治家の判断の根本的な違いである。
 岡田氏は、政治的信念が違う人との戦いを、闘う前に避けた。このメッセージは、日本は核兵器廃絶、非核3原則などときれいごとを言っているけれど本音は、核の力を頼りにしているとのメッセージを世界に与えたかもしれない。中国で原子力発電所が次々と建てられ、安価な電力の供給が行われるようになれば、核についてきれいごとを言っていたことなど忘れた顔をして、原子力発電にいそしむに違いないと思われたに違いない。
 岡田氏を非難するためにこれを書いているのではない。唯一の被爆国で、核の恐ろしさを語る義務を持っている私たちは、本気で核の恐ろしさを自覚しているのか、自分を含めて自問するべきであると言っているのである。原発事故に関して終始、東電の応援をしていたが、原発事故後の、核燃料の冷却といい、炉心溶融に対する対応といい、いずれもアメリカ頼りの対応に終始している。東電が神に挑戦する危険な核エネルギーを扱っているとの自覚を持っていたか疑わせる事態ばかりを見せつけられてがっかりしている。事故が起こった時の、訓練がほとんどなされていなかったようにも見える。原子炉置屋の状況のモニターもアメリカ製のロボットを使用、汚染水の処理はフランスの技術を使用、使用済核燃料の冷却の放水器は、中国製の大型クレーンを使っているらしい。事故の際の対応マニュアルや、事故訓練そしてひとたび事故が起こった時の重機の準備もいい加減な印象。とても核を世界で最も恐れていた国での原発事故とは思われない体たらくぶりである。東電にも国と同等の責任があったと断ずるほかない。東電の若者にはエールを送り続けるが、幹部には今後決して送らない。若者はこの事態を必ず納めてくれるから。
 一体核アレルギーが強いと言われていた私たちは、本当に核アレルギーを持っているのだろうか。格好いいから核兵器廃絶を訴えていただけなのだろうか。アレルギーが本当に強ければどの国民よりも、いつも謙虚に核と付き合っているはずであろう。今回の原発事故や都知事選挙の成り行きをみていると、実際はそうではなかったと言うしかない。
 日ごろ言っていることと、実際ことが起こってからの対応をみていると、その落差に驚くばかりであった。どうしてこういう事態になってしまったかについて私たち一人一人が考えることによって、本当に品格のある国になれるように思う。世界から信頼される国になれると思う。
 震災時に略奪も便乗値上げもなかった。規律正しく復興に当たっているとの諸外国のマスコミのお世辞で満足している場合ではない。未曽有の天災を前に際して、日本国民のよさを伝えたのは、日本人をほめたたえるためではない。マスコミがこの機会に、国民がこうあってほしいとの思いを、自国民に伝えることをマスコミの大切な義務の一つと自覚して報道しただけであろう。日本人を褒めても、何一つ得るものがない外国のメディアの真意を正確に判断するべきである。喜んでいる場合ではない。マスコミは隣国や同盟国の悪口を言って、読者に媚びるのが仕事ではない。自分たちの国がどうあってほしいかのメッセージを伝えるのも、大切な義務の一つなのであろう。どんな他国からも学ぶことはある。
 そういう裏事情を知らないのであろうか。外国のマスコミの報道に便乗して、今の政府は復興に素晴らしく貢献している、文句を言う奴に、ではあなたならどうすると質問すると何も答えられないと、批判的な言辞をはくのが務めであるはずの文化人が、ブログで現在の状況に何故無責任にクレームをつけるのだと堂々と論陣を張っている。批判こそが、新しい解決を作り出していくのに。深く反省するべきこの時期に、「日本人の誇り」など耳触りのいい題の本を出版する、機をみるに敏な文化人が続々と登場している。私たちは益々、知性を磨かねばならないと思う。この大震災を乗り越えるためにも。
続く

by rr4546 | 2011-05-20 13:55 | 日本人論 | Comments(0)
 浜岡原発の全面的な運転停止が5月の連休前に、管直人首相の政治決断で決着した。核兵器と違って、原子力発電のような核エネルギーの平和利用は許されるとの主張は、原発もひとたび事故を起こせば、核兵器以上に広範囲に甚大な被害を惹き起すことがはっきりした現在やむおう得ないであろう。おおむね国民の理解が得られているようである。マスコミや平和愛好文化人には大歓迎されている。
 それにしても原子力発電の安全神話は余りにもあっけなく崩れ去った。根拠のないプロパガンダを信頼していた自分の不明を恥じるしかない。原子力を平和利用できるほど、人類は科学的知識を持っていないとの当り前の事実に謙虚になるしかない。現在の状況は、丁度神と人とを仲立ちするギリシャの神、プロメテウスが盗んだ天上の火を人間に与えてゼウスの怒りをかい、山の岩に鎖でつながれ、大鷲に肝臓を食われ苦しんでいる状況と似ているのかもしれない。将来神が勝つのか、人類が勝つのか私には判らない。ただ人間である私は、人間に勝ってもらいたいと願っている。これを今声高にいえば、科学万能主義の阿呆、持続可能な文化の中で生きていた縄文時代のよさがなぜわからないと、バッシングされるであろう。ただ科学者としては、真理のほんの一部しか知らない、人生の知恵についてもこれだけアホでは、死んでも死にきれないとの思いで、やっと生きている私は、まだ人類に前を向いて歩いていってもらいたいと願っているだけである。一昔前の知恵で生きよと言われたら、十分に賢明で悟った人と違って、無知は心の病であることを知っているので、もう少し人間に頑張ってもらいたいと心から望んでしまう。原発事故を終息するために、人類が経験しなかった仕事に従事している人の健闘と健康を心から祈っている。その成果を人類共通の財産にしてもらいたい。神に勝つかどうかではなくて。
 いずれにせよ、愚かさのただ中にいる私たちは、将来予測される東海地震の震源地の上にたつ原発の稼働停止の要請をリヴァイアサンが決断したことを素直に喜んだ。
 ただ私には何か釈然としない思いが残る。日本では核利用はどのような法的な根拠のもとで行われているのであろうか。福島原発の事故処理は、報道によると原子力安全委員会のお墨付きのもとで進められているらしい。法的には原子力発電の許可・停止の全権は原子力安全委員会が持っていることになる。リヴァイアサンではない。
 リヴァイアサンの稼働停止の要請が、原子力委員会のメンバーの同席のもとで行われていれば、私は釈然とした気持ちを持たなかったと思う。停止要請に至ったプロセスはブロックスボックスのままである。金正日氏が後継者を三男坊に決めたのとどこも違わない。
 停止要請に関わった原子力安全委員会の人物が思い浮かばないので、原発事故に日夜汗を流している数人の政治家が決定を下したのであろう。この決定の手順が私の理解する法治主義と相いれないので釈然としないのである。聞くところうによると、原発事故処理に当たっている政治家は、彼らの真剣さや誠実さを認めたとしても、原子力や原発行政について、専門的知識は皆無らしい。ユダヤ教に造詣の深いフランス文学者が、原発対策に当たっている政治家と対談した後に洩らした感想だからかなり信憑性は高いと思う。想像してもE氏、K氏そしてH氏が原子力の科学的知識や行政に詳しそうに見えない。作られた作文を読んでいる。発表前にレクチャーを受けた内容を照れないで読む度胸も、時には必要なのであろう。
 今回の中止の決断は素人集団の直感のもとで下された。核利用の専門家でもない政治家が、直感で停止を決定する。しかも嫌なことに、0-157がカイワレによる感染だー生の牛肉やレバーで感染する菌であるー、血液製剤のHIV感染に厚生官僚が関わっていたー彼が薬害の根絶を誓ったにも拘らず、現在でも厚生官僚と製薬会社の共犯とも言っていい薬害まがいの事故は後を絶たない。官僚、製薬業界そして世間のことに疎いアカデミズムは、一層陰湿な形で薬害を生む構図を温存している。大見えを切った割には本質的なことは解決されていない。一介の医師免許を持っていた課長を有罪にして、彼の家庭を崩壊させたーと謝罪したことなど、どうも彼のやってきた政治は、客観的な証拠に基づく問題把握の上での決断でなくて、悪意はないけれど、向こう受けのすることを直感で行う、stand playに限りなく近いものであった印象を私は持っている。偏見であろうか。今回の決断も彼の行ってきたパフォーマンスの上で冷静に受け止めなければならないと思う。
 私の考えでは、政治家はstand playを得意とするのではなく、預言者のような資質を持って事に当たらなければならない。直感も、stand playのニュアンスではなく、己を空しくして、国益に身をささげた上でのものではなくてはならない。丁度宗教的預言者が、自分により頼むのではなく、神の啓示を聞いて民を導いたように。念のために言っておくが、預言者は大抵素人受けすることを語るのではなく、多くの人の顰蹙を買うけれど、長い年月の批判に耐える、永遠に残る知恵を語る。Stand playなどと陰口される口当たりのいいことは決して言わない。
 私の釈然としない気持ちは、現在のリヴァイアサンの資質に対する漠然とした印象からきているのではない。私はリヴァイアサンの浜岡原発の停止要請が、日本の民主主義を破壊する可能性があるのではないかと恐れているのである。日本がひとたび非常時に突入すると、リヴァイヤサンは法的な手順を踏まずに、あの政治団体は土建屋とグルを組んで、日本の政治を歪めて禍根を残すとの直感で、土建屋集団を牢に繋ぐことをやりかねないと危惧するのである。繰り返すが金正日が、彼の独断で6者協議の開催も、後継者も一人で決めているように。
  何故マスコミや文化人は、リヴァイヤサンの浜岡原発の運転停止要請が民主主義の基本の一つである法治主義に反する可能性があるのではないかと指摘しないのであろうか。私たちの付和雷同的な振舞いは、テロリズムと民主主義の違いに対する無理解と、アナーキーな反知性的なmentalityに由来することは「一神教的思考様式-創世記」の中で問題提起した。
 今回の浜岡原発の停止要請も、わたしたちの独特のmentalityによって、無批判に受け入れられていることは将来に悪しき前例を残すのではないかと老人は老人なりに深く憂えている。大政翼賛会によって太平洋戦争に真剣に取り組んだ過ちを、繰り返してはならない。治安維持法で、正規な手続きを踏むことなく正義の人の命を奪ったことを忘れてはならない。
「一神教的思考様式を学ぶー創世記―」第2章アブラハム物語 間違ったリヴァイアサン理解 pp205-213
続く

by rr4546 | 2011-05-13 15:50 | 日本人論 | Comments(0)