医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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安倍晋三総理大臣

 安倍晋三氏はどうしたらよかったのでしょうか。「戦後レジームからの脱却が日本のためにどうしても必要だと信じて、職務にとどまりましたが、皆様が私にそれを任せないというお気持ちのようですので、少し判断を間違えましたが、皆様のご意向に従って本日をもって総理の職を辞することにいたします」と述べて総辞職をすればこれほどまで全人格のバッシングをされて社会から葬りさられることはなかったと思います。国民も70%以上がほぼ一年前に彼を支持しましたが、その判断の問題点についても考えておきたいですね。選挙に負けたのは、安倍の責任ではなくて、不祥事を起こした閣僚のせいであると解説していたマスコミも手のひらを返した主張。少し冷たいですね。彼が人気があった時から、私は彼の問題点を指摘していました。
 自分の都合を優先させないで相手の都合を優先させるのは、政治の世界のルールだけではありません。医療の世界も、仕事の世界も、教師と生徒の関係も、牧師と信者の関係も、プロ野球での選手とファンとの関係も、神と人との関係もそして夫婦の関係もすべて、自分の都合を優先させないで、相手の都合を優先させなければうまくいかないのはこの世の道理です。患者中心の医療はできませんし、仕事に喜びは見出せません。一人で生きていくのは簡単ですが、二人で生きていくのは本当に難しい。良い二人の関係を作り上げるのは、人生の中で最も難題な一つだと思います。豊かな人間関係を作り上げる知恵を持てば、生きている喜びの多くが叶えられる気がします。アブラハムとヤコブはこの理を3000年以上前によく理解していました。
by rr4546 | 2007-09-20 22:26 | Comments(0)

自爆テロー辞意表明

 私は安倍晋三氏の著書である「美しい国へ」を読んで、彼が国民から選ばれる主権者(リヴァイヤサン)と使命感だけで生きているテロリストの区別ができていないことを見出し、彼の目指す国家は上下関係がはっきりした江戸時代の儒教国家か、戦前の国家神道をもとにした軍国主義国家でしかないであろうとこのBLOGで以前に指摘しておきました。
 安倍総理が民主主義の基本的理念を全く理解していないという私の印象は今回の一連の騒動から正しかったと、残念ですが改めて確認しました。
 国の主権者は国民の多数によって選ばれます。参議院選挙での自民党の大敗は現政権の継続に対する国民からの反対の意思表示と考えるべきでしょう。しかし彼は「改革を止めてはならない」と言う使命があるからと、民意を無視して総理の座を降りませんでした。 民主主義のリーダーが国民の意思より、個人的な使命を優先しました。リヴァイヤサンは自分の判断を唯一の正しい基準とするのではなく、人に仕えることに喜びを見出した人のはずですからね。自分勝手なことばかりをしていたと思うより、人様の望むことをしてあげてきたと思うほうが楽ですし、楽しいですね。あなたが嫌なら、あなたの意向を尊重して止めました。職責を放棄したのを人様のせいにしておいた方が機能性消化器障害?ー不勉強でどういう病気か知りませんがーをおこさずに済んだと思います。民主主義社会はテロ社会より、自然体で生きようという人たちの集まりの社会です。
 もう一つ奇妙なことが突然の辞意表明です。私人や独裁者ならともかく公人は私心を捨てて、国民の委託に答える国民の下僕に過ぎないという民主主義の基本的なルールにそぐわない辞意表明だったと思います。第三次安倍内閣を組閣して所信表明演説をした2日後に体調がすぐれないという極めて個人的な理由での退陣表明でしたからね。新しい国造りをする、アメリカとの国際公約を職を賭して果たす。国民に向かって公言した約束は、すべて自分の事情で投げ出してしまいました。やりたいことでやれそうなことならやるが、都合が悪ければ止める。民主主義の中で生きているリーダーではなくてフリーターの振る舞いと酷似していますから嫌になります。自分はだれに権力を与えられていると思っているのでしょうか。自分の使命感だけが唯一の権力の拠りどころと信じ込んでいるとしか思えない。そのためにうまくいかないと見通せばびっくりするくらい無責任に職務を投げ出す。国会の機能を吹っ飛ばしたのですから自爆テロリストの行動と似ていると言えるのではないでしょうか。今日のテレビでは国際協調の中で生きていくしかないわたし達が、首脳外交の場である国連に国の代表者が送れないという国益に反する事態も生み出したということでした。総理とテロリストの心情のどこに違いがあるのかよく判らない。総理は国際社会の価値観を共有していると繰り返していましたが、テロリストと価値観を共有していると言うべきであるように私は感じました。
 みんなで仲良く、誰でもが幸せになれる、楽なのが民主主義であるという私たちのとんでもない誤解を一日も早く克服しなければならない。自由、平等そして人権の尊重を生み出す民主主義は国民は総意を絞って主権者を選び、選ばれた主権者は、国民の安全を守るために最善を払う下僕として働かなければならないというなかなか厳しいことが要求される制度なのです。国民は正しい主権者を選ぶ責任が課せられており、選んだ以上は主権者の命令に絶対に服従しなければならない。国民は知性を磨き、望ましい国のあり方に対してはきりした意見を持つよう日々努力をしなければ民主主義は機能しないのです。主権者の権威は自分の使命感という狭いもので担保されているのではなく、国民の厳しい監視によって支持されてはじめて担保されていることをいつも自覚しておかなければならない。
 私たちが国際社会の一員として生きていこうと願うなら、民主主義の理念を正しく学ぶ時が来ているのではないでしょうか。私たちの選んだ総理がフリーターやテロリストのように行動しても、彼が何も心を痛めていないように見えるのは異常な状況だと思います。勿論志半ばで権力者の地位を投げ出さなければならなかった経緯を恨んでいるでしょうが。いや自分が身を引いたほうが国際公約が果たせると、変な理屈で辞職することを正当化しているのも、民主主義国家では余り見られない光景だと思います。
 私たちは総理以上に責任もなければ、多数の支持を必要としない気楽なところで生きています。当然ですが安部総理より非民主主義的に生きてしまいがちでしょう。
 私たちの国を成り立たせている基本理念である民主主義を真剣に学ぶ時が来ているように思います。 戦後レジームからの脱却は、民主主義の理念を真面目に学ばずに、民主主義国家に生きているとの極楽トンボの錯覚から早く目を覚まして、本当の民主主義の理念を身にまとった現代的で知的な人間に生まれ変わることだと思います。
 それにしても50歳前半の若い政治家が民主主義を本当に理解していないのに、私たちの選んだ政治家たちにかっては広く支持されました。どこに問題があるかよく考えなければ、私たちは新しい出口には立てないように思います。今回の騒動を生んだ根は深いと自分を戒めながら、民主主義の理念を学んでいきたいですね。そのために創世記注解が役立てばうれしい。
 蛇足ですが・・・。安倍晋三氏を無責任極まりない政治家だったと総括して、今回の騒動がおさまって行くでしょう。悪口で一件落着といういつものパターンです。私はそうは思わない。上で言ったこととは矛盾するようですが。真面目で日本のために一身を投げ打とうという志を持っていた人だと思います。ただ自分の権威が自分の使命感ではなくて、国民の総意に基づいているという民主主義の基本のルールを理解していなかったためにややこしいことを招いたということだけはよく理解しておきたい。
 さらに蛇足ですが・・・・。わたし達はテロリストを無辜の民を殺す横着ものだと、悪の権化と考えがちですが・・・。テロリストはわたし達以上に純粋な使命感を持つ人たちであることを忘れてはならないと思います。自分の命を差し出すのですからわたし達のようなやわな使命感を持つだけではとても勤まりません。なぜ民主主義社会は純粋な彼らを犯罪者とするかについてもよく考えておきたいですね。
 

by rr4546 | 2007-09-14 13:23 | 日本人論 | Comments(5)
 次回に一神教と国家神道を比較しながら、わたし達は一神教信仰とは全く無縁な世界に住んでいるわけではないことを論じます。その前に評判の悪いいブッシュを支持するキリスト教右派、福音派について考えておきたいと思います。国家神道を理解するためにどうしても福音派のことを知っておかなければならない。

キリスト教右派、福音派
 日本の神学者の紹介によるとキリスト教右派、福音派は、聖書の記述をそのまま信じて生きていこうという、キリスト教原理主義者の人たちのことを言うらしい。福音派という派があるのではなく、カトリックにもプロテスタントの中にも福音派と呼ばれる人たちはいる。進化論ではなくて神による天地創造説を信じ、イラク戦争を続けるブッシュの有力な支持母体となっているとのこと。それ以上についてマスコミからもアカデミズムの世界からもほとんど情報が出されません(私が見落としているのかもしれない)ので、福音派に関して巷間言われている知識以外は何も持ち合わせていません。世界のリーダーである国でアナクロリズムのキリスト教徒が教育や政治にまで影響を及ぼす事態がよく理解できず、何か釈然としない感じを持っていました。70年代中ば過ぎセントルイスにあるワシントン大学の血液/腫瘍部門で3年間くらい研究生活を送りましたが、福音派を名乗る気持ちの悪い人たちと接触した記憶もない。
 キリスト教関係の研究に携わるプロテスタント系の神学者たちの主催する公開講座に出かけると、いつも福音派は悪役として登場し、イラク戦争も彼らの排他的な考え方からくるキリスト教原理主義を押し付けるために行われているとの解説があり、そんなものかと勉強させていただいています。キリスト教は好きだけれど、福音派は嫌い、いや嫌悪を通りこして憎しみを抱いておられるのが分かって、この調子でキリスト教について何も知らない学生に教育を行えば、アメリカ、ブッシュ、イラク戦争、福音派、原理主義者、気持ち悪いという、シンプルな嫌米感情、いや嫌キリスト教を植え付けるだろと他人事ながら心配しています。その大学に所属する教会の温厚な牧師も、神学者と同じように現代の悪の一つにアメリカの福音派があることにたびたび言及されます。福音派に対する憎しみの感情は日本のキリスト教関係者の間に広く蔓延しているのでしょう。何か理由があるに違いない。
 情報がない中で、福音派と呼ばれるキリスト教原理主義者がどういう経緯で、市場原理主義国家で誕生し力を持つに至ったかについて考える手掛りはありません。神学者に言わせるとアメリカはもともと現代では珍しい宗教国家で、原理主義的な宗教が生まれる土壌があるとのこと。これで納得し一件落着した感じが持てないのは当然です。
 創世記注解を書き進めていて、宗教には個人の魂を豊かにする働きと、共同体を統合する働きがあることに気が付いた時に、私なりにアメリカでキリスト教原理主義的な考えを持つ福音派が台頭してきた謎が解けた感じがしました。古代では私が実際見ただけでもルクソール神殿、ピラミッド、パルテノン神殿、アンコール・ワットなど、巨大で神秘的だが全く無意味がわからない建造物、多分神殿だと思いますが建てられています。権力者が祭祀を司り神の言葉を取り次ぎその権威で共同体を束ねていたのでしょう。多様な人たちをある方向にまとめるために神は働く。
 福音派の人たちの信仰もアメリカを統合する一つの力になっているのではないでしょうか。乏しい知識のままでの考えですので、独断といえば独断ですが創世記理解のために役立つと思い纏めておくことにしました。福音派と国家神道と一神教の違いを理解するためにも有用だと思います。
 東西冷戦下でのケネディー、ジョンソン、そしてニクソンの3人の大統領が関わったベトナム戦争(1960-1975)、一時は50万人以上のアメリカの若者がベトナムに派遣され、多くの犠牲者を出しただけではなく、数々の非道な虐殺事件を引き起こしました。ベトナム戦争の悲惨さと無意味さはいまのイラク戦争のそれらを凌駕していたかもしれない。70年代初めから若者を中心にアメリカ全土に反戦運動が広がりました。多くの若者の死があり、出口が見えない戦いを続けるのですから当然ですね。圧倒的な軍事力を行使しながら、何の成果も得られず、15年間という長い戦いの末に、建国以来始めて戦場から敗退しました。国民の間には政治に対する怒り・不満がうっ積し、多くの人は理想を掲げるアメリカに絶望したことでしょう。将来の見通しがないことに対する無力感も国全体を覆ったかもしれない。1977年頃のアメリカでの研究生活の間に、ベトナム戦争がアメリカに大きな傷を与えたとの実感はありませんでしたが。わたしの気が付かないところで、社会的そして個人的な面での精神的な混乱があったのでしょう。
 当時起こった興味深い社会現象のもう一つは、出口のみえないベトナム戦争と関係していると思いますが、伝統・制度などの既成の価値観を否定して、社会からドロップして自然への回帰を夢見るヒッピーと呼ばれる若者の出現をあげることができるでしょう。この風俗はわたしたちの国にもすぐに伝染しました。長髪でラフな服装をしたギターを弾く若者がわたし達の周りに溢れました。ヒッピー族と呼ばれた彼らは自然と愛と平和と芸術と自由を愛して既成の社会を嫌って自由気侭な生活を送りました(Wikipediaより)。
 政治権力の権威失墜、既成の価値観の崩壊、あらゆる束縛を嫌うどちらかといえばアナーキーなヒッピーの出現、同時に1964年キング牧師たちの努力によって黒人開放のための公民権法が制定されました。不幸なことにケネディーそしてキングは暗殺されました。私たちの想像を超える暗い面が曝け出されました。新興国、日本も侮りがたい経済力を蓄え、アメリカ経済の没落も囁かれ、日本を倣えなどとわたし達の自尊心を擽る論調がマスコミを賑わしました。
今振り返ると当時のアメリカは現在の日本の政治的および社会的状況以上に、混迷を深め、閉塞状況の中にあったのではないでしょうか。従来の価値観に代わって新しい価値観が模索された。かなり深刻な曲がり角に差し掛かっていた。社会の連帯が脆弱となり、家庭も崩壊して、進むべき方向も見失しなっていた。勿論社会的そして個人的なモラルが崩壊した事件も相次いだ。権力者の盗聴や教育現場の混乱、そして離婚の増加など規範を無視した事態が次々起こったと記憶しています。マリファナなど一時的な陶酔感をもたらすドラッグも出回りはじめた。当時の社会背景を調べる資料が手元に全くありません。間違いがあれば是非指摘してもらいたい。
 もう一度アメリカは新しい目標に向かって出発しなければならなかった。荒んだ国民一人一人を再統合して崩壊しかけた政治、経済そして道徳観を立ち直らせる必要に迫られた。大国の威信を取り戻さなければならなかった。アメリカは多民族国家で多元的価値を許容していますので、わたしたちの社会より一層多くの人たちを統合する強力なイデオロギー、規範が必要とされたのだと思います。
 無原則で生きていくことが蔓延った時代背景の下、キリスト教精神でアメリカを再統合し、世直しをしようとする人たちが出てくるのはごく自然なことだったと思います。生きる規範やアメリカの進むべき道を聖書に求めた人たちがキリスト教右派、福音派の人達と呼ばれているのではないでしょうか。理想として掲げる民主主義、自由、平等そして人権の尊重という理念を生み出す知恵の書いてある聖書に立ち返らなければならない。閉塞した中で聖書は忠実に読まれ、書かれた教えに従って生きることが追求された。アメリカにあるまとまりと、微かながら新しい道徳的規範が芽を吹き始めた。
 キリスト教が、混迷した社会に住む人たちを再統合する最も強力な力を持っているかどうかについては、多くの意見があるでしょう。再統合のために聖書以外の方法も模索されたに違いない。歴史家が将来この選択が正しかったどうかについて検証するでしょうが、新しい国家であるアメリカではキリスト教をリバイバルさせて国民を精神的に統合させるという道しかなかったというのが正しいのではないでしょうか。当然そのキリスト教は近代的装いのものではなくて、極めて保守的でかって成功体験のある原理主義的なものであった。彼らはこのムーブメントを先導した。悪役でもなければ、世界を混乱させる元凶でもない。私たちにも何も迷惑をかけていませんからね。
 仄聞するところによると、妊娠中絶の反対、受精卵を使うES細胞研究への規制、同性愛結婚の法的承認への反対、家族制度の再確立、わたしもすべてに賛成しているわけではありませんが、ごく当たり前の古きよき時代の聖書の教えに従う生き方を再興しようとしていることが彼らの主張から読み取れます。聞きかじりですが、最近は環境破壊による地球温暖化への取り組に熱心だそうです。神学者の解説を聞いていると、イスラーム国をキリスト教化しなければならない、仏教国日本にキリスト教を布教しなければならないかの如くの、過激で独善的な主張をしているように錯覚しますが、かっての良き時代のクリスチャンホームを取り戻すことが彼らの目標であるように思います。その上自分たちの価値観をすべてに強制しようとする気配もないように思う。周囲の冷たい無理解の中で二人のカウボーイが愛し合うホモ映画を演出した中国系アメリカ人アン・リーに2006年のアカデミー賞の監督賞が与えられました。同性愛は市民権を得ているように思いました。その方の趣味はありませんが、二人の愛の切なさが美しいブロックバック・マウンテンを背景として良く描かれていました。アン・リーが映画界から追放された、テロの襲撃に遭ったという情報に接しません。

福音派に対する憎しみ
 日本では福音派に対して、ブッシュ、非寛容、独善的、原理主義者、イラク戦争支持者とあらゆる負のイメージが貼り付けられて論じられます。しかも理解者であるべき日本のキリスト者は嫌悪どころか憎しみを抱いた発言を繰り返されます。福音派をわたし達ほど単純に悪役として扱い、アメリカやイラク戦争の背景を読み解いている国は、日本以外にはないのではないでしょうか。誰が福音派を貶めるような偏見をわたし達に持ち込んだのでしょうか。知識人といわれる学者、神学者、文化人そしてマスコミの責任は大変重いと思います。私たちとは逆に、福音派の人々が活躍することを評価している人たちも少なからずいるに違いない。福音派がいなければアメリカだけではなく世界が無原則で無道徳なカオスに陥ったと考える人もいるでしょう。私たちの周りには福音派を擁護する人は全くいませんが。
 先日キリスト教の保守派の大物(名前は忘れました。色々な大統領とも親しかったらしい)が死んだとの報道に接しました。彼らがキリスト教精神に従って、どちらかというと自由恋愛、フリーセックスのイメージがあるアメリカで、制服まがいのスーツをきた若者が学ぶ大学を作って、聖書を生きる規範とする若者を社会に送り出しているのを知って、一層わたし達の見方はちょっと偏り過ぎているのではないかと思いました。一神教に対する無理解、憎しみが深く関係しているのでしょう。
 いずれにせよ福音派を嫌う人は、他者を絶対に愛せない人たちだと思います。他者が愛せないとは、神を愛せない無信仰者だと思います。学生も信者も愛していないと思います。
 福音派の人たちは教育を始め、家庭生活や社会生活も聖書の教えを基本にやっていこうとする強い意志を持ち、一貫性のある誠実さでその志を追求している人たちだと理解しておきたい。たとえ誤解であっても。遠く離れた日本でアメリカの福音派の人たちの悪口を言っていても、彼らが悔い改めて何か状況が変わるとも思えない。私たちの悪いパターンで人の悪口に時間を使って、自分の欠けていることに真正面から取り組まないで、自尊心だけを膨らませて、自分への厳しさを欠いた怠慢で時を過ごすという毎度のパターンを若者に伝えることだけは避けたい。
 福音派、ブッシュ、キムジョンイル、中国、イスラエルそして朝青龍とよくここまで人を貶めるようなことを言い続けて心の安定が保てるのか不思議な気がします。2007年9月1日のA新聞の朝刊を見ると、国の補助金の不正受給、補助金交付先の親族からの金品の授受、政治資金の領収書の5重の使い回しによる政治活動費の計上とネコババ、虚偽記載と社会的ステータスのある人たちのセコイ振る舞いを見ていると、他人様の悪口に時間を割いている余裕は現在のわたし達は持っていないとしみじみ思います。法に従わないで若者にどうして規範を守ることの大切さを教えることができるでしょうか。

憎しみからの開放
 福音派は悪人なのか、古きよき時代のクリスチャンホームの復活だけを願う人たちなのか、どちらが真実であるのか私には断じようがありません。
 福音派は聖書の教えを規範として生きていこうと願っている人に過ぎない、例えこの見解が間違っていても、そういう仮定の下で他者を理解する知恵を今こそわたし達は持たなければならない時に来ているように思います。相手を貶めていても何も生み出しません。自分の品格を卑しめるだけです。
 私たちは他者に義があり、他者に愛があるという立場を取る知恵と無縁なところで生きているのでしょうか。自分に義があり、自分は誰よりも慈悲深いと信じるしかない精神世界の中で生きているのかもしれない。
 一方一神教徒たちは他者である神を発見したお陰で、他者に義があり愛があると思うことにあまり抵抗を感じない世界に住んでいるかもしれない。いやその思いを育てることに励んでいると思います。それが信仰生活ですから。彼らがいつも神に従順だと言っているのではありません。ただ神に愛があり、義があるということを心に覚えておくだけでも、生き方が変わることはアブラハムやヤコブの生き方を見れば判ります。他者に義があり愛があると信じて生きていくのと、自己に義があり慈悲深いと信じて生きていくのとの間には、想像できないほどの違いがあることだけは良く知っておきたいと思います。
 他者ではなくて自己に義がある、他者ではなくて自己に慈悲があると考える背景には、「天上天下唯我独尊」とおっしゃった釈尊の教えに深く影響されて育んできたわたし達の無神論的な精神的風土があると思います。自尊心を批判的にみる眼差しがなければ、自己の正しさと、慈悲深さばかりを言い張るしかないのです。神学者や文化人のように、自分のことを棚に上げて、悪口に精を出す。挙句の果ては自尊心にしがみ付いて、他者に対して憎しみを募らせる。他者を貶めて、自己正当化に励む。少ししんどい生き方ではないでしょうか。
 相手が間違っていて自分が正しい、自分は思いやりがあるが相手は薄情であると思っても何も生み出さないことをしっかり肝に銘じるべきだと思います。
 ともあれ他者は不義で愛情が欠けていると思うわたし達の思考パターンを他者に義があり、愛があると思えるよう作り変える時が来ています。勿論,自分が正しく、他者が間違っている場合もあるでしょう。絶対の真理がない以上、どちらが正しい、どちらが間違っていると軽々に判断できないでしょう。しかし自分が正しと考えるより、他者が正しいと考える方が、楽で自分が成長できるばかりです。逆に自分が正しくて他者が間違っていると考えていると当座は気分が落ち着きますが、しばらくするとしんどくなってくるのではないでしょうか。正しい正しいと言い張り続けるためにはかなりのエネルギーを必要とします。いつも正しい人などいませんからね。
ヤコブは沈黙している神に対しても神に義があり愛があると考えることで、自分を磨き続けました。それに反してわたし達は、自分が神に近いと考えているために、自分に義があり他者が不義で、自分は愛で他者は薄情であると考えがちで、自分を磨く機会を少なくしています。どちらが楽でどちらが愉しいか良く考えなければなりません。
 私の働いている医療の現場でも、悪いのは自分ではなくあの人である、わたしが好意をもって接しているのに、あの人はわたしを馬鹿にしているという誤解で始まるトラブルは後を絶ちません。その争いは不信や憎しみしか生み出さない不毛なものです。お互いを貶め合うだけです。しんどい生き方で喜びのない生き方のような気がします。自尊心を満足させても根拠のない自惚れだけを生み出して、それ以外の未来に続く知恵を決して生み出しません。
 連れ合いとの関係もそうではありませんか。悪いのはあの人で、これだけしてあげてもあの人はわたしのことを全く考えないで我侭ばかりを言っているとの、罵詈雑言の中から愛は決して生まれません。憎しみを生み出すだけでしょう。よしんば間違っていても、正しいのはあの人で、いつも心を砕いてくれるのはあの人であると考えてみてください。何か違ったものが生み出されてくるような気がします。
 安易で自尊心に縋る思考パターンが福音派に対する憎しみを生んでいるのです。悪いのは自分で、我侭を言い過ぎたとの仮定の下で事態を収めるほうが遥かに楽で、実りが多いでしょう。
 神学者がこれほどまで福音派を憎み続けることができるのですから、私たちはまだ十分大人の知恵を持っていないということでしょう。知恵を深める道を探さなければならないと思います。
義と思いやりは私にあって、間違いと薄情さは相手にあるとしか思えない、唯我独尊的な世界に住んでいるといつも自分を戒めることが求められていると思います。ここらで、我慢に我慢を重ねて、相手に義があり、相手に愛があると思って生きていくことを一度試みても面白いのではないでしょうか。
 相手の悪口をいくらあげつらっても、相手の薄情さを恨んでいても、相手は全く代わらないばかりか、自分の心が貧しくなっていくばかりですから不思議です。私たちの信頼する政治家の隣国との外交を見ていると、この一神教的な基本的な考えがないために、拗らせなくてもいいことをこじらせて、日本を孤立させているように思えて仕方がありません。福音派の悪口を言っているより、福音派から私たちの欠けていることを学んで、少しでも自分の愚かさを乗り越える方がいいに決まっています。憎しみから開放されましたか。

進化論か天地創造説か
 わたし達は、福音派をひと括りにして、この科学の進んだ現代に進化論を教えないで神の天地創造説を教える阿呆と笑っています。先祖をたどれば高天原に住んでおられる神に至る一族の臣民だと信じて、御真影と教育勅語を納める奉安殿を真っ先に大学の正面に作って敬礼した先輩のことを忘れてはならないと思います。
 先日遠い親戚に当たる童話作家夫婦と会食をしました。現在の子供は太陽が東から出て、西に沈むのを見ているので半分くらいは天動説が正しいと信じているとわたしが話したところ、さすが童話作家、お二人とも太陽が動くのに地動説が正しいと言う子供こそ可笑しいと窘められました。成る程、お日様が動くのを見ている子供に科学的根拠を使って地動説の正しさを信じ込ませるほうが余程無理かもしれないと納得しました。進化論の科学的根拠をもとにして、サルからお前は進化したと教えても、子供は納得しないかもしれない。すぐ神のごとく振る舞いがちなわたし達も小さい時に、被造物であること学ぶことの方が進化論を学ぶより大切かも知れない。「若い時に創造主を覚えよ」と聖書は言っています。
 進化論教育より神の天地創造説を教えよというのは科学的知識に全面的に信頼するのではなく、人が生きていくためには宗教的情緒も大切であるといっているに過ぎないのだと思います。
 純粋な感性を持つ子供に天動説ではなく地動説を教えることが本当によいことかどうか。いずれ理解するであろう進化論を子供に教えるべきか、天地創造説を教えるべきか軽々に判断してはならないと思います。特に情緒を大切にすることを伝えたい私たちの子供たちには。
 イラク戦争の大義についても、福音派の人たちの特徴と役割についてもわたし達はグローバルスタンダードとはかなり違ったイメージを持って、ピントはずれの議論をしているかもしれません。マスコミ、政治学者、神学者そして文化人が多くの情報を持っているのに出さないのか、偏見でその情報を秘匿しているのか、理解できないで我流の説を垂れ流しているのかよく判りませんが、わたし達は世界で起こっている事態について十分理解しないまま、福音派やイラク戦争を論じているのではないかと思ったりもします。専門領域を持つ学者の責任は重大です。誠実で公平な情報提供をする義務を持っているのです。いずれにせよピントはずれな議論に熱中しないよう心掛けなければならない。

by rr4546 | 2007-09-01 16:03 | 宗教 | Comments(3)