医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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 今わたしどもは、高齢化社会になって初めて経験する諸問題のあれやこれやに気が付き始めている。例えば介護を必要とする老人が安心して暮らせるコミュニティーの創造、高齢になってからの生き甲斐の発見そして高齢者の増加による生産や効率の低下によってもたらされる経済活動の縮小など数え始めたら際限のない正解のなかなか見つからない難問に直面しようとしている。勿論尊厳死という問題も真剣に論じなければならなくなるであろう。新しい時代が生み出す問題を解くことは、世界に先駆けて高齢化社会を迎える私たちに課され義務ではないだろうか。新しいメッセージを世界に出したいものである。

 今評判の「ダ・ヴィンチ・コード」の作者ダン・ブラウンが本の中で一貫として訴えているように、上に突き出ていくだけの男性原理主義的生き方の中に、すべてを受容し、調和を求める女性原理主義的生き方の知恵を加えるために一人一人が真面目に頭を絞らなければならない時が来ているのであろう。男性原理あるいは女性原理といっても、この男と女が生物学的な男と女の持つ原理のことを言っているのではないことはいうまでもない。原理のない生き方を愉しむ人もいるだろうし、男性でも女性原理を体現している人もいるだろうし、女性でもがりがりの男性原理主義的な生き方をしている人もいるであろう。女性原理主義的な生き方のための知恵を見直そうとは言うは易くとも、なかなか見出せない知恵のような気がする。ただ再発見しなければ近い将来、住み心地の悪い社会が出現するかもしれない。

 高齢化社会が生みだす新しい課題を解決するために医療従事者は多くの貢献ができる立場にいるのではないだろうか。

医師会での挨拶
 
 ただいまご紹介いただいた寮隆吉と申します。これからは西京医師会のメンバーの一員として、色々、お世話になるかと存じますが宜しくお願いいたします。

 本年の3月まで神戸大学で血液検査技術科学を専門として、浮世離れした仙人のような研究生活を送っていました。聴診器の使い方も忘れる様な始末でしたので、3月の定年を機会に、認知症の患者とスローライフを愉しみながら、今まで暖めてきた、ライフワークを完成させるために老健施設で働くことといたしました。

 老健施設というといかにものんびりした響きがありますが、働き始めて、予期に反してこれはただならぬ職場だということを思い知らされています。経験したことのないほどの忙しさで、施設の中を走り回っています。甘い汁を吸っていた帳尻を合わせよと天のどこかで誰かが言っているのだと覚悟を決めて、今は認知症の周辺症状の治療や糖尿病、高血圧、心不全、腎不全の治療に、プライマリー・ケヤ医として基本的な過ちを犯さぬよう自分を戒めながら、取り組んでいます。時には虐待の明らかな患者を家族から隔離するという、夢にも思わなかった仕事が降りかかったりして、社会の影の部分への対応などにも追われています。ライフワークの完成など夢のまた夢のような気がしています。

 日本は人類が歴史上経験したことがない高齢化社会を迎えようとしています。これからも益々介護が必要な高齢者は巷に溢れるのではないでしょうか。私どもは、最も美味しい食材で、贅沢な食生活を楽しみ、高価なブランド品で身を飾るという、世界中の人が羨むような豊かな生活を享受しています。そういう国だからこそ、いずれどの国も経験するであろう、ハンディキャップを持つ高齢者と共に生きていくにはどのような仕方があるかを、世界に発信しなければ申し訳ない。老健施設を足掛かりにして、高齢者とともに皆で助け合いながら生きていくために必要な希望のある知恵について、一つでも発見できればと思っていますので色々ご指導をお願いいたします。

 先生方には手に負えなくなった患者さんの治療などで、ご無理を申すことがあるかと存じますが宜しくお願いいたします。

by rr4546 | 2006-06-24 00:43 | 医療関係 | Comments(0)
淡路産タマネギありがとう。-T.O.兄へ

 淡路の田舎で天職と信じた外科医の証であるメスを捨てて、プライマリ・ケヤ医として奮闘している友への手紙。

 美味な淡路産玉葱受け取りました。暫くの間、醤油をかけてしゃきしゃきという食感が味わえるかとおもうと、夕食の楽しみが一つ増えた感じ。
 小生今まで経験したことがないほど、忙しい毎日を送っています。大学での生活が懐かしい。ただ高齢化社会が避けることのできない老人問題に対して自分なりの希望のある見取り図を持ちたいと願っています。

 ダ・ヴィンチ・コードに描かれているイエスの血脈が現在も生きていることが一部のキリスト教徒をなぜ怒らせるかという教え子の質問に答えるために、映画を見たり本を読んだりしています。本は知的で、キリスト教徒(カトリックの一派らしい)が大工の子イエスを神の子としたり、古来の女神信仰を男神信仰に作り変えるために歴史を捏造し、それを隠蔽するために、人殺しまで厭わないということをリアルに描いて大層、面白い。ありそうな話ですね。いや真実はダ・ヴィンチ・コードのほうにあると思う。不自然なキリスト教信仰を守るためにキリスト教徒は歴史を作りかえる。信仰にあまり親しまない人たちは、ダ・ヴィンチ・コードはキリスト教を冒涜するために書かれたと感じるらしい。しかしダン・ブラウンという作者はイエスに子があるかないかにこだわる信仰は子供じみた信仰であることを承知した上で、イエスに子があったという物語を創作したように僕には思えます。

 神の子だからイエスには子がなかった。処女マリヤから生まれたから、イエスを信仰する。大工の子で、罪人として処刑されたから、イエスを信仰しない。作者は今でもこのような根拠の乏しい仮定に基づいて無理やり信仰を守る人たちを笑っている気がします。信仰は自分が自分の力でこの世に生まれてきたのではない、人間は創造主ではなくて、この世に作られてきた被造物にすぎないーこの当たり前なことが頭で分かっても、体で理解できないーことに腑に落ちて謙虚に生きていく知恵を深めようと努力することであり、人間は自分が信じているほど正しい存在ではなくて、愚かで、意気地がなくてそのくせ自己の過ちを決して認めようとしない傲慢な生き物であることを自覚するために作りだされた神話に過ぎない。ダ・ヴィンチ・コードはそのあたりの事情をよく知った上で書き上げられている。狂信的ではあるが生きるためには何の力にならないキリスト教世界を取材しているうちに出来上がったというのが真相だと僕には感じられます。キリストを汚す書物であるという非難は信仰の信仰たる所以を知らない人たちの言いがかりでしょう。作者はしっかりした信仰の持ち主だと思うということを書いてあげようと準備して一層、忙しいというわけ。ダ・ヴィンチ・コードをご一読を。今半分くらい読み終えています。最後まで読むのが楽しみ。

 それにしても旧約聖書ではっきり示された創造神ーアニミズムのような自分が作るあそこに宿っているここに鎮座ましましているという神ではない、自分を創った神ーの発見。その神が人類を導き、共同体の統合のシンボルとしてあらゆるこの世の権力を凌駕して機能する。そして人類を守るべき神がご利益をもたらすのではなくて、人のおろかさを審判するという不思議な働きを通して、ユダヤの民が神の下を去るのではなくて、逆に神への信仰を深化させて、神と人との違いを学び、人は神があって初めて人としてこの世で立てるという信仰を完成させることを描いた旧約物語。そしてどちらかというと個ではなくて民族に深く干渉する旧約の神が、個としての人間に深く関り、精神世界を旧約の時代とは全く違う、広く深くした新約物語。腹がふくれるふくれないという食物ではない魂の食物、息をしているしていないという生理的な命とは違った命、血の繋がりの上の父ではない、魂の父の発見、律法を守らないという罪とは違った、心の中の根源的な罪などを明らかにして、人間の自己理解を一層促す新約物語。私たちが相変わらず生理的というか現実的な世界の中にとどまって、魂の世界に対して無知というか冷淡であることと実に対照的ですね。このような精神世界が2000年前にすでに完成していた。人の持つ英知の偉大さに敬意を払いたい。そして直接、神になれない人間が仲立ちを介して初めて本当の人としてこの世に立てるというメッセージは、学びつくせないが、学び続けなければならない。こういう信仰世界から見れば、ダ・ヴィンチ・コードの描いている物語は信仰世界とはまったく無縁の物語といえるということを書いてあげようと・・・・。ダ・ヴィンチ・コードはキリスト教を冒涜しているというのは頭の固い公式主義者の誤解から来ているのでしょう。神が情欲にかられて思いを遂げる。がりがりの原理主義者にとっては身の毛もよだつ話なのでしょう。そんなことも考えているから忙しいはずですね。

 映画も本も日本で広く受け入れられているらしい。僕たちも魂を豊かにしたいと願っているのですね。希望が持てます。淡路での実践を通して書き上げた「実践のプライマリ・ケア」受け取りました。相変わらずまめですね。益々のご活躍を。6月19日 R.R拝

by rr4546 | 2006-06-19 18:52 | 宗教 | Comments(1)
ボランティアとは?
               
 いろいろお世話になっていながらゆっくりお話をする機会がありませんでしたが、こういう場に同席させていただき、うれしく思っています。
高齢化社会を迎え介助を必要とするお年寄りが急速に増えています。私もここにきて初めて、認知症患者の介護のためにご家族の方々が大変なご苦労をされていることを知りました。この重荷は益々大きくなっていくことでしょう。

 リハビリ等を通して介助の必要な患者が少しでも自立できるよう、あるいは少しでも身の回りのことができるようにして、家族の負担が軽減できるよう私どものような施設が頑張ることが大切ですが、どうやら私どもが努力すれば高齢者の介護という社会的な大問題が解決できるとは到底思われない。

 そのような状況の中で新島さん、喜多さん、鈴木さん、門さん、山村さんを始め皆様方が、貴重な時間を割いて私どもの施設にお手伝いに来てくださって、患者の寛ぐ場を提供してくださったり、面倒な縫い物はしてくださったり、患者の介助にも手を貸してくださったりしている。本当に感謝しています。

 皆様方がゆったりとした雰囲気でいろいろお手伝いをしてくださるお陰で、施設の中に暖かい空気が流れるように感じます。きっと患者さんたちも皆様方の働きをみてもう一度自立した生活を送ろうと励まされているのではないでしょうか。これからもいろいろとお世話になることかと思いますがどうぞよろしくお願いいたします。

 日本は世界で一番の長寿を謳歌できる社会を築いてきました。そういう社会は避けることのできない高齢者の介護はどうあるべきかについても、もっともよい方法を世界に示す義務があると思います。皆様のように自分の時間を割いてお手伝いに来てくださる、高齢者の問題は社会全体の人がそれぞれ何らかの役割を果たすことによって初めて解決できる。高齢者の問題を社会全体で担っていくというモデルケースとして私どもの場を育ててくださいますようよろしくお願いします。

 最後ですが日本人は身内のもののためには肝臓、腎臓そして肺でも提供しますが、存外血の繋がりのない他人には冷たいところがあります。皆様はあまり親しくもない方々のために汗を流してくださっています。愛することは狭いものではなくて、愛することはもっと広いものだということをこれからも示していただき私どもを啓発してくださいますようお願いいたします。

by rr4546 | 2006-06-09 09:43 | 医療関係 | Comments(0)