医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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新任の挨拶

 神戸大学を辞して4月1日から老人を主に扱う医療施設の長としての仕事を始めることになった。

新任の挨拶

 4月からお世話になることになった寮隆吉と申します。3月まで神戸大学に勤務していました。友人の紹介で皆様とご一緒に仕事をすることになりましたので一言ご挨拶をさせていただきます。

 大学で研修の後、県立病院勤務やアメリカでの研究生活を行い、恩師の紹介で神戸大学で仕事をはじめ、20年余の間、主に研究や教育をしていましたので久しぶりの臨床だけの現場ということになります。色々ご迷惑をかけることがあるかと思いますがよろしくお願いいたします。

 きっと多くの方が、大学勤務というどちらかというと特殊な仕事から、一線の臨床、特に高齢者の方々をお世話する医療現場に戻ったわけですので、たまたま仕事があったからやってきたとお考えではないでしょうか。確かに神戸大学を退職するに当たり、私学の大学での教職の仕事や、友人がやっている大きな病院での仕事などお誘いを受けました。女房はまだ若いのだからもっと頑張るようにわたしをけし掛けています。

 今でも野心満々ですので、こんなことをしたいと思ってこちらにお世話になることにしたということを少しお話しておきたいと思います。年配の患者と親しくなると「後は立派に死ぬことだけが残されていますね」というムンテラをするのを習慣としています。これは闘病生活をしている祖母を見舞うという状況で、あのノーベル賞作家が知恵遅れの孫に「立派に死んでください」とお婆さんに語りかけるところから拝借したものです。半分くらいの患者さんはそうだそうだといってくれます。後の半分の方は100歳まで生きると怒られますが・・・。

 では「立派に死ぬ」ことは一体どういうことか、いっている当の本人も全くわかっていない。歳をとっていると思っていませんから死ぬことなど考えるのは縁起がよくないとどこかで思っているのでしょう。これから高齢社会で巷にはお年寄りが溢れることでしょう。死んでいくことを全く考えないで済むとも思えない。そこで、ここで仕事をしながら、豊かな老いを迎える知恵について患者と共に一生懸命考えて、なにか一つでも良いからよき老いを迎えるための大切な心構えを見つけたいと思っています。今までは大学教育・研究あるいは医療はどうあるべきかについて考えてきましたが、好むと好まざるに関らず老いを迎える歳になってしまいましたので、ここらで今まで興味のあったことを一段落させて、心機一転よい老いを迎えるためにどんなことが必要かを真剣に考えたいと思っています。教養を豊かにして世界を広げること、音楽、文学、絵画そして映画を心から楽しむこと、愛する喜びを知り、愛することや欲望を深めて僕ちゃん、僕ちゃんといって自分のことだけにかかずりあっている狭い世界を広げること、愚かさを自覚して未来を洞察できるようになることそして感謝しながら死ぬまで頑張っていく知恵などについて考えたい。ここにやってきたのは確信犯ですので、よい機会になるよう頑張りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 こんな大層なことは私一人で出来るわけではありません。皆さんや患者さんとアイディヤを出し合ってよき老いを送るための知恵を一つでも見つけて、それを世間に発信できればと願っています。何か発表したいですね。すべてのものが老いるわけですので、よい老いの仕方を見つけることは私たち自身のためでもあります。遠慮しないで何でも話しかけてください。

by rr4546 | 2006-03-31 12:49 | 医療関係 | Comments(1)

映画鑑賞ー男と女・戦争

映画鑑賞

男と女
 
 洋画の「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」と邦画の「二人日和」をみる機会があった。男と女の関係についてこんなに違ったイメージがあるのかが判り興味深かった。一方は複雑な過去を持ち、幾多の壁にぶつかりながら、歌うという喜びを分かち合うことで愛を育み、一人ではなく二人で危機を乗り越えるプレスリーと共にロカビリーの黄金時代を築いたジョニー・パーキンス夫妻の歩みを通して、魂を通い合わせる男と女の強さを描いていた。もう一方は思いがけなく不治の病に犯されることになった妻を見送る寡黙な神祇装束司の物語である。二人の間にほとんど会話がなく、打ち解けあうことは諦めていた。仕事の分担がはっきりしていて、妻は繰り返し夫の我侭を非難する。どこで二人が心を通わせているかについて描かれていない。出会いは愛ではなく、偶然ということであろう。全編に喜びではなく諦念が溢れていた。一昔前によく見かけた、相手を知るという愛の関係ではなく、支配・被支配の関係の中の男・女を描いていた。どうして閉じた窮屈な愛に満足して、もっと開かれた大きな愛を作っていこうとしないのか。他者との交わりを素晴らしいものにしようとするのではなく、独りよがりな貧弱なものでよしとする頑迷さを感じた。仰々しい愛などないといいながら、二人は深く愛し合っていると訴えている。これでは男も女も永遠に満たされることがないであろう。特に若者や女性は不満であろうと感じたが、少なからずの若者や年老いた女性が余韻を愉しむためであろう嬉しそうにパンフレットを買い求めていた。自己中心主義だと互いに難じながらも愛が成り立つことがあるのであろう。他者に対する思いをもっと深め、生きていくことを、豊かで喜びに溢れたものにしたい。
 
 諦念を強く説く仏教や上下関係を基本とする儒教の考えを乗り越えていかなければならないであろう。

 新しい男と女のあり方の参考になればと思い教え子の結婚式のための祝辞を書いておきたい。
 
 「X君、Y子さん今日は本当におめでとうございます。ご縁で一緒に歩いていくことになったのですから、二人で力を合わせて掛け替えのない家庭を作ってください。一人より二人で力を合わせた方が大きな夢が育てられます。本当のことを言うと、人の手を借りなくても何でも一人で出来てしまいます。二人で考えるとつい言い争いが起こりますので、二人より一人でやっていく方が楽だと思うこともあるでしょう。ただ話し合いができるのは、私たちだけですから、お互いの知恵を出し合って難問に取り組んでください。二人で生活を始めると、十人十色とはよく言ったもので、考え方、感じ方そしてやりたい事は、違うことばかりでビックリすることでしょう。個性や感性が同じでない二人が生活するのですから、当たり前です。素敵なカップルは、自然に気持ちを汲み合いながら仲良く暮らしているように見えますがそんなことはありません。二人で歩んでいくためには、努力が大切だと言うことを是非、心に留めておいてください。努力すると言うと不思議です。私たちは自分だけがして相手は何もしてくれないと思い込んでしまうのです。どうしてあの人は鈍くて思いやりの欠けた、人の気持ちを汲まないのだろうかため息ばかりが出るでしょう。自分が努力しない横着ものでないと同じように、人の気持ちを考えない人などどこにもいないのです。それなのに「私は努力してあの人は努力しない」と思ってしまう。冷静になっても、その思いは拭えない。「自分は努力して、相手は努力をしてくれない」と可笑しなことを考えることを心に覚えて、二人で歩いていってください。
 もう一つ、二人で生活するためには、大人にならなければならないと言うことも知っておいてください。赤ちゃんはミルクを与えてもらい、おしめを代えてもらい何から何まで人の手を煩わせますが、自分一人で生きていると思っています。実は大人だって色々な人の力をいただいて生きているのです。しかし赤ちゃんみたいに「僕が正しい」「わたしのいうことを聞いて」といって相手の意見などに耳を傾けない。人の力を借りるのは面倒なのです。大人になるということは、どんなに力のある人でも、一人で生きていけないことを自覚することだと思います。大人になっても赤ちゃんのように一人で生きていると思っていては可笑しいです。二人で歩いていくためには、「一人で生きていると思ってしまう」ということを心に留めておくことは大切だと思います。大人になったのですから、本当の大人を目指してください。二人で力を合わせてやっと一人前だと振り返る日が来ることを信じて歩んでください。医療に携わる二人ですから必ずそのことが判らなければなりません。本当に今日はおめでとう。」

戦争・テロ
 
 「ミュンヘン」、「ジャーヘッド」、「ロード・オブ・ウオー」は現在進行中のテロの応酬やイラク戦争は、私たちが日常よく語りあっているような宗教戦争や、価値観の押し付けという単純な動機で行われているのではなく、憎しみが憎しみを生む愚かさや、テロや戦争までもビジネスにする人間の邪悪さや、加害者が被害者になり、被害者が加害者になるという不思議な社会の仕組みなどに支えられているということを鋭く描いていた。意識レベルを下げて自我を克服して、仏心が宿っていることに気が付けばーオウム真理教信者と同じ精神構造である。これを若い女性も支持しているーこの世の難問はすべて解決する。あるいは循環と共生の中で生きていた原始人を見習えばー生き残ることに精一杯であった原始人は褒められたらびっくりするであろうー、血生臭い争いや自然破壊が止まるという妄想しか持ち合わせていないのに、戦争好きなブッシュと違ってわたしは清浄心を持って生きているといってよしとしている我々の単純さは矢張り少し世界の常識からずれているように感じた。それにしても自分たちが選んだ総理大臣が全面的に支持して、少々無理な要求にも従順に従ってもよいと考える人物を、マスコミをはじめ、多くの人が市場原理主義者だ、キリスト教右派のガリガリ亡者だ、白痴に近い知性しかないと論じていても、精神のバランスが取れること自体、わたしには不思議でならない。私たちは人を貶めることが余程好きなのであろう。
 
 戦争の当事者が戦争する姿を冷静に娯楽映画で批判する知の枠組みに対して少しは謙虚になる必要があるように思った。

 世界を知るために映画鑑賞は役に立つ。いい映画を見ることはお勧めである。それにしても私たちと欧米人とでは、人間理解や自然理解は全く違うように思う。愛とか、テロとかに対して抱く思いは似て非なるもののように感ずる。私たちは欧米人の人間性をしっかり理解していないのではないだろうか。実際ある時は、中絶・同性婚そしてES細胞研究も認めない、キリスト教右派に支配された時代遅れの頑迷な宗教国家であると難じ、ある時は男同士の愛までよしとする欲望至上主義国家だと難じて可笑しいと思わない。かの国は自分の価値観を押し付ける血生臭いテロ国家なのであろうか。あるいは麻薬に溺れ、放縦な性関係の中で銃だけが頼りの不道徳を最も体現した退廃国家なのだろうか。キリスト教右派の人たちがいずれ同性婚者を弾圧するようになる、あるいは不道徳なものばかりが溢れていずれ信仰が滅ぼされると予測しているのであろうか。私たちはアメリカという国家を充分理解していない。しようとしていない。一神教やアメリカをバッシングをしていれば明るい未来が約束されていると考えてはならない。

 そんな理解の及ばない不気味な国との同盟関係を頼りにこれからを生きていっていいのであろうか。隣国に高飛車な人たちに限って、アメリカとの同盟関係を無条件に賛美する。こんな極端なお付き合いは誠実ではない。
 
 キリスト教右派の人たちに支配されている独善国家だと断じていた人たちは、ホモ映画を作りそれをアカデミー賞という名誉ある賞で顕彰する国をどう位置づけるのであろうか。私たちは信仰原理主義者でもない、そこそこ禁欲的で寛容な人たちの集まりであると一人合点しているだけでは、真面目に未来を考えているとは言えないであろう。
 豊かで深い生きか方をするために私たち以外の人たちの理性や知性のあり方に対して謙虚である必要があるように思う。

 貧しい人間観を持つだけで、これでいい、これでいいと言っていたり、これしかないこれしかないと言ってことたれりでは、難問だらけのこれからの時代を生きていくのは難しい気がする。足らないものが学べるから、名画は時間を割いてでもみにでかけたい。
by rr4546 | 2006-03-03 10:15 | 日本人論 | Comments(0)