医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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中尾實信先生が最近上梓された「小説木戸孝允―愛と憂国の生涯」上巻をAmazonを介して送って下さった。上巻と銘打ってあるが796頁のずっしりと重い大作である。いずれ出る下巻と合わせると、最近あまり手のすることのない長編作品を読む機会が与えられるのであろう。楽しみである。

中尾先生は30数年以上前、私が神戸大学病院に赴任した当時すでに血液学で多くの業績を上げ、神戸大学第二内科の助教授を務めておられた。血小板・巨核球関連の研究に携わっていた私は、先生が持っておられたK562という白血病細胞株を分けていただいて、巨核球の分化や巨核球白血病の性状解析の研究で院生とともに原著英文論文を30編くらい書き上げた。小生の研究生活での恩人でもある。

当時からいかにも俊秀で学者然とされていたが、すでに忙しい臨床や研究生活の合間に長編小説を上梓されていた。当時は研究生活一筋の先生と敬愛させていただいていたが、先生の初期の代表作である半自伝的な「静かなる崩壊」を読んで、先生が大学病院での研究だけでなく、文学にも非凡な才能をお持ちであることを知って、驚かされ、その後先生の作品は必ず読んでいる。どの作品も読み終わった後に、一段と深い世界に導かれたとの満足感が与えられ、先生のファンと言ってもいいであろう。

先生は読者を飽きさせることなく、引き込ませる流麗な文体をお持ちだけではなく、構成も見事で、素人の私が言うのも説得力がないが、現代活躍するわが国の長編作家の5本の指に入るお一人だと思う。

「小堀遠州」では茶の湯、庭園造りや和様建築という日本固有の文化の草創に深く寄与した遠州を見事に描き上げられた。二条城の近くに住む私は先生の作品を手引きにして日本文化の神髄に触れようと今でも庭園などを訪ねている。

「森鴎外」では明治という新しい時代を作るために、選ばれた秀才たちがヨーロッパで何を学び、何をわが国に持ち込んだかについて多くを学ばせていただいた。秀才たちの人間臭いエピソードだけでなく、鴎外の初恋についても瑞々しく書き上げられた。

買い込んだ本はいくら感銘を受けても、処分することにしている。数年前、愛読する本が二部屋にも溢れかえり、本に押しつぶされそうになりいくら思い出深い本でも、断捨離よろしく処分することにしているが、中尾先生の本は唯一残した本箱に残っていた。

「木戸孝允-愛と憂国の生涯―」の表紙とともにここに残しておく。トリミング技術が十分ではなく見苦しいが悪しからず。「木戸孝允」の最初のページに中尾先生の思いを込めた献辞が挙げられている。

「人は煩悩の器であり

病の器でもある

誰しも

生き抜くことは難しい

ましてや

美しく生きることは

至難の業である」



by rr4546 | 2018-03-30 17:30 | その他 | Comments(0)
アカデミックな医療界ではなく、市井の国手と呼ばれる外科医を尋ねて手術の腕を磨き,野戦病院のような小さな病院で、メス一筋で獅子奮迅の活躍をする外科医当麻を主人公にした医療漫画や医療小説を書き続けてきた大鐘稔彦氏が、今回ヒトラーを題材として「マックスとアドルフ」という大作を上梓された。彼の医療小説は「孤高のメス」という題で映画化されたので、少なからずの人は外科医大鐘稔彦氏をご存じではないだろうか。「孤高のメス」は作者自身の外科医としての実体験に基づいて書かれているので少なからずの読者に支持されている。
その彼が今回、医療界とは無縁なドイツ人で初めてへビー級世界チャンピオンになったボクサー、マックスとヨーロッパを焦土と化し、戦場や人種差別的な強制収容場、アウシュビッツで大量の死者を出したヒトラーの物語を上梓した。早速読んでみた。
「マックスとアドルフ」は6000枚の上下巻にわかれた大作ではあるが退屈することなくわくわくしながら読了できた。読み始めれば、魅力的な時間を持つことができるであろう。
ヒトラーにまつわる歴史的な事件の描写も詳細を極め、読み応え十分。多感な青春時代から、政治にかかわった絶頂の時と当時の混沌とした世界状況、愛人と青酸カリをあおって生涯を閉じるまでが見事に描かれている。
著者のヒトラーの人間的魅力を書き上げたいとの創作の動機は実を結んでいるといえるであろう。
しかし読了後も私にとっては、やはりヒトラーは悪魔に魅入られた怪物で、ヨーロッパ中に、何物も生みださない死の腐臭をまき散らした人物であるとの思いを払しょくすることができなかった。また彼のような怪物を、歓迎した国民、民衆もやはり同罪。
しかしこの類の事件はあらゆるところで、繰り返し起こっているのではなかろうか。我が国でもスケールの小さな事件として、麻原を教祖と仰ぎ,全能を求めて、この世を救済しようと、これまたなにも生み出さない、サリンによる大量殺人を引き起こしたオーム事件の中に、同じ愚かさを見ることができる。自分を振り返っても同じ過ちを犯していることに気が付かされる。
このような死で終える悲劇は、神を見失った人間が行き着く果てだという思いを新たにした。大作は神を見失った人たちの歩まねばならない道があるとの視点で書き上げられていたら、混沌とした現代に警鐘を鳴らす傑作として評価されたのにと悔やまれる。
神を見失ったといっても、神なきわれわれにとって、なんのことやらちんぷんかんぷんなコメントと受け取られるであろう。
聖書では神を見失った人間を肉の人と、信仰で生きる人を霊に導かれている人と表現する。評者のわたしの今の立場は、信仰を持とうが持つまいが、すべての人間は肉の人でもあり、霊の人でもあるというのが率直な気持ちである。
ただ信仰に全く無関心になると、備えられている霊の世界が隠れて、後は肉の世界だけの欲得、勝ち負けそして自己尊大化だけが幅を利かせ始める。色欲だけが生きるエネルギーになる。
その中で一番たちが悪いのが、他者を見失った自己尊大化。ありていに言えば、自分が一番偉い、自分の判断が一番正しいという、テロリズム。しかもこの自己尊大化は、自分が阿呆な人間であると自覚できないから厄介。ただただ自己陶酔、自己使命感の中だけで生きていく。このヒトラーの本質こそを、この魅力的な大作に書き込んでもらいたかった。時代はまたヒトラーのような人物を待望する雰囲気で溢れている。
肉の世界だけで生きるとヒトラーのように、ゲルマン民族だけが選ばれた民であるとの誇大妄想を生む。しかもその自惚れを確信できないために、劣等民族、彼にとってはユダヤ人や障碍者たちをヘイトする、排除する。この愚かな思い込みを根拠として、自らが優秀であると信じ込む。大和民族が優れていることを担保するために全く意味のない、ヘイトスピーチに命を懸けている若者がわが国にいるのも事情は同じあろう。
残念なことに作者が見事に書き上げたヒトラーの姿は、評者にとって、テロリズムに蝕まれた典型例としかみえなかった。神を見失った人間の行きつく果てとしか考えられない。今から思うとどうしてそのような愚行を繰り返したのか。ヒトラー自身もそのような醜い人間を目指したのではない。
独裁者は人間的にも魅力的であるのは当たり前であろう。しかしどこでどう狂ったのかの悲劇を、この大作に描き込んでもらいたかった。
ヒトラーの君臨した統合本部の一種の華やいだ雰囲気は、何千万人の戦争犠牲者が出ている戦場の悲惨さとあまりにもかけ離れている。作者はこの異様さの由来を書き込むべきであろう。
ヒトラーの政治家としての卓越した能力が、ゲルマン民族の繁栄だけではなく、人類全体の栄光のためになぜ生かされなかったのか。なぜもっと広い視野に基づいた生き方に思い至らなかったのか、そのことを掘り下げてもらいたかった。
「マックスとアドルフ」に対する私の感想である。読まれていない方には何か途方もない妄言に思えたことであろう。是非手に取って読んでもらいたい。混沌とした現在に対する多くの教訓を読み取ることができると思う。
現在医療界を牛耳っている権威たちに、ヒトラーのような根拠のない自己尊大化があるのではないかと感じて、大鐘稔彦作「マックスとアドルフ」の書評を載せた。
医療界が根拠のない権威をよりどころに生きている人たちに牛耳られるのは、将来に多くの禍根を残す。いや今のような医療界が当たり前であると感じるようになれば、わが国の将来はない。敢えて場違いな「マックスとアドルフ」をここで紹介させて頂いた。寄り道の寄り道である。

by rr4546 | 2016-08-26 23:00 | その他 | Comments(0)

Face Book抜粋―

Alzheimer型認知症の早期診断について論じていた。寄り道している間に、Alzheimer型認知症の早期診断確立のための国家project、J-ADNIに対する厚労省・経産省からの研究資金が凍結された。共同研究者から、データの改ざんの指摘があり、J-ADNI研究の杜撰さが明らかにされ研究が強制的にストップされたのである。                                                  私は資金と労力そして患者の協力を得ても、Alzheimer型認知症の早期診断は不可能であるとの感触を、認知症を身近にみている立場から書く積りであった。ただ、早期診断法の確立の国家projectがとん挫してしまい、書こうとする意欲が著しく損なわれた。
できないという結論は同じである。屋上屋を重ねる類の主張をしてなにになる。私は改ざんをしなくても、神経の退行変性疾患の早期診断が困難なようにAlzheimer型認知症のそれも困難であると思っている。早期診断に熱心に取り組めば、誤診ばかりの症例を溢れさせる。現にAlzheimerと誤診され治療を受けている患者は驚くほど多い。
                           
今日は寄り道の寄り道である。読者も多くないBlogを書き続けたり、恥ずかしながらFace Bookもやっている。友達が3人では、井戸端会議以下の情報交換で情けないが、なぜか続けている。
なにか発言したいという出しゃばりなのだろう。世の中のためになればいいが。
今日は時間が空いている。3人しか友達がいないFace bookに載せた情報を転載しておく。交友関係の狭いのには、われながら情けない。

第111回日本内科学会
4月10日から3泊4日で、東京であった学会に行ってきました。日野原重明先生は今年103歳になられるとのこと、登壇して万歳をされてから講演をされました(講演スライドの一部はFace Bookに)。
他は東京駅周辺の「彫刻家の手・画家の目」(ブリヂストン美術館)、「日本絵画の魅惑」(出光美術館)そして「英国の耽美主義」(三菱一号館美術館)の展覧会を楽しんできました。功なり名を遂げた大金持ちが自分の感性で集めた作品は、奇を衒うのではなく日本人特有のバランスの取れた穏やかな印象に溢れている作品ばかりで感銘を受けました。特にブリヂストン美術館はお勧めです。感性の合うコレクターが集めた展覧会に出掛けると、心が弾みます。三菱一号館は一番賑わっていましたがコンセプト不明で、行って損をしたと思いました。
夜は庄司紗矢香・Menahem・PresslerのヴァイオリンとピアノのDuo・リサイタル(サントリーホール)に出かけました。90歳を超えたユダヤ人Presslerのピアノの響きは、心から音楽を愛する誠実さに溢れていました。芸術を愛したわが国の財界の大物の魂と響きあうものを感じました。
長命が美徳かどうかを考えさせられる仕事場で働いている私は複雑な気持ちになりました。
孫との春休み
3月26日から3泊4日で楽しんできました。日本一高い地上300mの阿倍野ハルカス展望台から大阪の街、大阪湾、京都タワーを見下ろしましたが、何だという感じでした。400年前に重機なしで、作られた大阪城の美しい石垣のほうが、人の叡智の偉大さを示しているように感じました。秀吉の天才ぶりにあらためて圧倒されました。100年後も大阪城の威容は残るが、阿倍野ハルカスは、無用のお荷物として私たちを困らせているかもしれない。
3月20日
お彼岸のお墓参りに出かけました。一日雨が降って寒い日でした。若者は連休で出かけ、老人二人での先祖供養でした。昼食は祇園Kで小懐石を食べました。お品書きをと頼んだところ、そんなものはないとのこと。アナゴの稚魚、のれそれ、金目鯛の白味噌仕立て、わかめと若竹煮などが美味でした。墓参りが楽しみか、その後の食事が楽しみかご先祖様はご承知のことでしょう。喝!ピンボケも愛嬌。若き友人S君。日本を偲んでくれたまえ。
同窓会
3月8日に玉造温泉で大学の同窓会がありました。2泊3日で松江の観光もかねていってきました。松江は岡山から「やくも」で2時間半、道のりや町の風情は松本とそっくり。汽車に揺られながら、何度も「しなの」にのって松本に向かっていると錯覚しました。町には藩主(松本から来た松平家の松平不昧公)が愛したお茶の文化を偲ばせる茶道具の展示や和菓子屋さんがあり、眺めたり、味わったりと古きよき日本の風情を楽しんできました。竹島を取り戻そうと、立派な会館が解放されていましたがパス。
出雲大社まで足を延ばしましたが、大社が東アジア文化圏の中で建てられた社である歴史は全く消されていました。
国を譲った大国主命は泣いている?
お湯につかって、友人たちが胸部や腹部に立派な手術痕を持っているのを目の当たりにして、養生することの大切さを知りました。

by rr4546 | 2014-04-15 15:36 | その他 | Comments(0)

新年の挨拶

知人にすべて賀状をだすほど、馬力がなくなった。欠礼した方にブログ上で新年の挨拶をして、失礼をお許しいただくことにする。
迎春
皆様には お健やかに新年をお迎えのこと お喜び申し上げます
当方 肉体的にも認知機能の面でも 老化現象が現れはじめ これからの世代を担う若者に迷惑をかけぬよう スポーツクラブにかよい スタジオでステップを踏み プールでバタフライを楽しんでいます
肉体を鍛えるより 魂を磨かなければと思いながら汗をかくことに精を出しています
いま取り組んでいる 高齢者医療をいつまで頑張れるか心配な毎日です。
今年が皆様にとって よい年でありますよう 心よりお祈り申し上げます
  
平成二十五年 元旦

かき続けてきた「よき高齢者医療を目指して」は昨年暮れに触れた介護放棄の背景を論じた後、高齢者医療は老年病専門医が担当すればよいのか、介護保険と医療保険を使って、臓器別専門医が担当すればよいのか、高齢者医療は高齢者を毎日診ているプライマリーケア医が診ればよいのかについて具体的例をあげて、毎日高齢者を集中的に見ている高齢者のプライマリーケア医である老健医が診るのがもっとも高齢者を大切にする医療を構築できるかについて論じてみたい。よき高齢者医療のこれからの在り方の理念を提言して、今回のシリーズを締めくくりたい。小生も賛同者もいなければ、反論者もいなくて、がーが―と一人で言っているのにくたびれた。それにしても、高齢者医療が荒廃したままに放置しておくのは、心残りではあるが、自分の年には勝てない。


新年の挨拶
                 施設長 寮 隆吉

新年明けましておめでとうございます。東日本大震災の復興も、福島原発の後始末も道半ば、素直に新年を寿ぐという気持ちにはなれません。また介護を必要とする身内を抱え、今年も大変だと胸を痛められているのではないかと推察いたします。新年会で職員に話した一部をご紹介して、新年のご挨拶とさせていただきます。
「昨年は良き年でしたか。何か思い出深い出来事がありましたか。成長できましたか。あるいはイライラして、落ち込むことばかりでしたか。私はここで仕事をして七年目ですが、今でも新しい体験をし、実りの多い一年でした。ただ小生もくたびれて、いつまで今の仕事ができるか、心配です。
ご存じのように日本は世界に先駆けて少子超高齢社会に突入します。高齢者人口は、「団塊の世代」が65歳以上となる平成27(2015)年、すぐですね、には3,395万人となります。そんなときに、高齢者がどのような医療や介護を受けているのか、考えるだけでも心配です。そんな先のことを思い悩んでも、なるようにしかならないと考えられるでしょう。しかし今元気なあなた方も、いずれは病にかかり、人の手を借りて生を全うしなければならない時が来ます。
ここで仕事をしてよくわかったことは、よい高齢時代を送るためには、介護を充実させることがいかに大切かということです。多くの高齢者が現役世代と同じ検査・治療を受けて、薬漬けの生活を送って薬の副作用で苦しんでおられます。
高齢者の方は、暖かい介護を受けるほうが、遥かに穏やかな老後が送れると思います。将来ますます必要となる介護の質を上げるために今年も頑張っていただきたいと思います。良い介護とはなんであるかを問いかけながら、今年一年を実り多い年にしてください。介護は失われた機能を介助するだけではなく、残された機能を少しでも高め、自立していただく仕事です。これからも改善を図っていかなければなりません。・・・・・・・」。
本年も、私たちの介護向上のために一層のご指導をお願いして、新年の挨拶といたします。本年が皆様方に良き年であることを職員一同心よりお祈りいたします。

by rr4546 | 2013-01-07 13:15 | その他 | Comments(0)
加賀乙彦氏の作品は「フランドルの冬」という、40歳過ぎて上梓された処女作から、最近完結した「雲の都 第五部 鎮魂の海」までたいてい読んでいる。寡作なので、読むといっても、10冊にも満たないのだが。ただ身内に文学を生業としているものや、親しい友人で作家活動をしているものがいるが、文学というと身構えてしまう。文学音痴のわたしが、加賀氏の作品に惹かれるのはなぜであろうか。肌があうというしかない。
「雲の都」という不思議な題の小説は、著者自身の一族に起こった出来事を下敷きにして、昭和初期から現在までを丹念に描いた作品である。最後は涙を流して読み終えた。著者自身は、本の中で自分は2,3流の作家で、19世紀のリアリズムの手法でしか創作活動が出来ないと書いている。ただ波乱の人生を誠実に生きて、ハンセン病患者、死刑囚、精神病者そして戦前は差別されていた朝鮮人を深く愛し、晩年はすべてを神に委ねて生きていく姿から、よしんば文学的に価値の低いものーわたしは全くそうは思わないーであっても、本当に多くの感動をいただいた。加賀先生は、一人の人間が無垢な面も邪悪な面も、残虐な面も深い愛の面も、理性的な面も感情的な面も,強い面も弱い面をもつ、多面的存在であることを深く理解しておられる。加賀先生自身をモデルにしている主人公悠太のように、生の最後を全うしたいと心から思った。加賀先生は見事な生を、自分自身だけではなく、親友で孤独に生きた久保高済や、奉仕に生涯をささげる先輩医師である村瀬芳雄先生を通して描いている。望ましい生き方はこれしかないという偏狭さは全くない。見事に生きておられる方はどこにでもおられるらしい。どの方の生きざまも、わたしのなかで宝物になった。
高齢者と接する仕事をしている動機の一つに、どのように死んでいったらいいかを考えたいという思いがあるが、「鎮魂の海」にわたしの求めている多くのことが書いてある。加賀氏の作品を読み続けてきて本当に良かった。
加賀氏は作品の中で「雲の都」と題名を付けた由来を婉曲に書いておられる。雲は天からの贈り物ということ、不条理の多いわたしたちが住んでいるこの世が、祝福に満たされた都だというのである。加賀氏の魂の豊かさに深く感銘を受けた。そして人間の思いを超えた造化の妙を描くのが自分の創作活動の原点だと、作品の中で控えめに書かれている。姦しい文芸評論家たちが、加賀氏の作品を低く評価しているようであるが、彼らは芸術の本質を理解していない。彼らの評価に対して、加賀先生には珍しく、強く反論されている個所を引用しておきたい。。
「ママは夜、ピアノを弾く。最近はずっとバッハの『平均律クラヴィーア曲集』で、追分でもこれを一日中繰り返していた。僕に少し推測できるのはママがバッハの、人間の喜怒哀楽を超越した聖霊の世界に助けを求めているということ。バッハの音楽は自分の情熱や怒りよりも、天から落ちてくる雨や雪のような地上を、すなわちこの地球を被いつくしている自然の美と呼応しているのだ。それは繰り返しのようだが、これはママも気づいていないようだけど、天の移ろい、春夏秋冬、朝と昼と夜、晴天と雨天という変化を、音で追っているみたいな音楽だ。だから、冬は寒すぎるとか雨は陰気だとか、自然に対する人間の思いを超越していて、神が創り出した和音やメロディーの美を、まったくそのまま受け入れる音楽なのだ。」加賀氏の自分の作品に対する自負を読むようである。
「鎮魂の海」を読み終えたころ、偶然であるが先輩の中尾實信先生が最近上梓された「森鴎外」を、丁重な手紙を添えて送って下さった。献本先に小生ごときを入れて下さる先生のご厚意に深く感謝した。京都大学そして神戸大学と偶然ではあるが、少しだけ接する機会のあった先生は、血液学者としても、小生のような小物と違って、大きな業績をあげておられる。その上、文学作品も次々世に問うておられる。いずれも読みやすく、内容豊かで、なぜ先生の作品が直木賞くらいで評価されないのか、不満である。最近では「小堀遠州」という傑作を出されている。そしてまた、今回「森鴎外」という作品を生み出された。今年が森鴎外生誕150年ということも教えられた。読み始めたが、文体は益々洗練されて、読み続けるのが楽しみである。文学音痴の私には、森鴎外と言われても馴染みがないが、鴎外が軍医総監まで出世し、文学者としても巷間、高い評価をうけ、功なり名を遂げたにもかかわらず、墓石に本名でシンプルな「森林太郎」とかくよう遺言したという逸話ぐらいは知っている。中尾先生の作品なので、巨人森鴎外の心の葛藤も、深く描いておられるであろう。あとがきに、先生は「幕末から明治・大正の激動の時代を生き抜いた森鴎外の生誕150年の年に際して、本書を森先生に献じようと志した。誠実で真摯な鴎外の生き様は、自己分裂を生じかねない苦痛を伴った。だが、家族の愛や恵まれた友人に支えられ、不撓不屈の生涯を生き抜いた。思えば、明治の人々には志があった。今日の日本では人間復興への志が問われている。明治維新の原点に立ち還ってみれば、鴎外の生涯からも、貴重なメッセージをくみとれるのではないだろうか」と書いておられる。読み続けるのが楽しみである。

by rr4546 | 2012-12-06 16:31 | その他 | Comments(0)
職場の同僚から、YouTubeに、先生のご親戚の寮美千子さんが出ている、見ましたかと尋ねられた。慌ててYouTubeに「寮美千子」をうちこんだところ「ソーシアル大学・デメ研#02 寮美千子」で、久し振りに美千子さんに会うことが出来た。彼女は私の従弟の娘さんで、小さい時は東京と名古屋に住んでいて全く会う機会がなかったが、ご夫婦で奈良に引っ越された後、食事をしたり、メールで連絡を取り合うようになっていた。もともと童話作家でお会いした折、結構な数の著書を頂いたが、余りよい読者ではなかった。孫にすべて横流しした。ただご自身のホームページの中の「うさぎアンテナ」でいつも、更新されるわたしのBlogをupして下さっていたので喜んでいた。
YouTubeでは、奈良少年刑務所で「社会性涵養プログラム」の一環として受刑者たちに、詩を読んだり書かせる珍しい経験を相変わらずのお元気さで、話していた。受刑者というと凶悪・乱暴というイメージを抱きがちだが、詩を書くことによって、彼らが生まれ変わっていく姿を驚きを持って語っていた。
寮美千子編「空が青いからしろをえらんだのです」(新潮文庫)を早速買い求めた。
1―2時間で読み終えた。何も書けなかった受刑者たちが、6回の授業後、愛のこもった詩を書くようになる厳粛な事実を教えられ、感銘を受けた。
美千子さんが、詩に寄せたコメントは、いじめ、家庭内暴力、破壊衝動に突き動かされる自傷行為や衝動殺人を減らしたり、独りよがりの愛国主義者を視野の広い、将来を見据えた真の愛国主義者に生まれ変わらせる最良の教科書のように思えた。
身贔屓かもしれないが、心を豊かにするためにご一読をお勧めしたい。

by rr4546 | 2012-09-03 16:48 | その他 | Comments(0)

施設便りー新年の挨拶

明けましておめでとうございます。
 ハンディキャップのあるご高齢者やご高齢者をお持ちの皆様にとっては、また大変な新年が始まったというのが実感ではないでしょうか。私ども職員一同は少しでも皆様の負担を減らし、介護を必要とするご利用者さまが穏やかな日々が送れるよう、頑張りたいと心を新たにして新年を迎えました。
 昨年は創立10周年を迎え、一つの区切りの年になりました。世界に先駆けて高齢社会を迎える私たちは、病を持っている高齢者が安心して暮らせる社会を作り、世界の模範となる義務があるのではないでしょうか。その一つに介護を必要とする高齢者をお預かりする施設の充実が必要です。老健は自宅復帰から、死の看取りまでを行うレパートリーの広い施設です。これから益々重要な役割を果たしていかなければなりません。負担の大きい介護についてのノウハウをご家族に伝える、あるべき高齢者医療のモデルを提供する、そして尊厳ある死をサポートする、色々な課題が山積しています。それらの難問にこれからも誠実に取り組んでいきたいと考えています。いずれ私たちも老いていきます。私たち自身もお世話になってもいいと思える施設作りにこれからも力を注いでいきたいと考えていますので、色々なご希望を遠慮なくお寄せ下さい。
 本年が皆さまにありましてよき年であるよう心からお祈り申し上げます。

by rr4546 | 2011-01-06 15:42 | その他 | Comments(0)

「晩節の宝石箱」感想

 先日、中尾實信先生が最近出版された「晩節の宝石箱」を送って下さった。先生は神戸大学第三内科で助教授を務められ、定年前に大学を去り、現在老人病院で老人医療の一線に立って頑張っておられる。先生は血液学領域で素晴らしいご業績を上げておられ、かって同じ大学で働いた関係で、先生がお持ちの当時珍しかったK562という多能性の白血病細胞を譲っていただき、私たちは巨核球性白血病の分化の研究を発展させることができた。先生はあまり口数も多くはなく、学究肌の雰囲気でこちらは勝手に無趣味で研究一筋の方とばかりと想像していた。しかし大学を辞められたころから、青春小説や医療を舞台にした小説、そして茶道を舞台にした歴史小説を発表され始めた。どの本も読みやすく、研究者であった名残りか、医療界、茶道の世界や舞台となる時代背景を、多くの文献を引用しながら学問的検証に耐えられるよう丹念に書きあげられ、描写は詳細を極めていた。かといって読みづらいところはなく、いつも先生の筆力に驚かされていた。渡辺淳一程度の才能をお持ちだと、若くして文壇でデビューしていればかなりの線までいかれたのではと日頃から思っていた。
 先生の作品を読めば読むほど、実際の先生との印象から想像できない、みずみずしい繊細さに驚かされる。軽々にあの人は無趣味な朴念仁、あの人は芸術家肌のロマンチスト、あの人は冷たい人と見掛けで判断することの愚かさを学ばされていた。先生の小説は若々しい情感で溢れ、読んでいて青春時代の多感な時代を思い出す。
 今回の作品は妻をがんで亡くした60歳に手が届く老齢を迎えた医師の物語である。バブル時代の日本や、バルカン半島でのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を舞台にして展開される。金銭欲に踊らされたり、無意味な民族間闘争で殺し合う人間の愚かさを淡々とではあるが鋭く批判的に描きながら、老医師が少年のように多くの女性に恋心を抱く物語である。環境も似ているので、なるほどなるほど頷きながら読み終えた。人を愛することは老年になっても大切なことなのであろう。研究一筋でまじめを絵にかいたような先生がいつまでもみずみずしい情感を失わず、熱い老いを生きておられるのには、心から羨ましく感じた。小生は「老人医療」の本を書き上げる準備に大わらわである。

by rr4546 | 2010-10-16 12:24 | その他 | Comments(0)

孤高のメス

 先日、「孤高のメス」という映画を見に行った。原作者の大鐘稔彦氏は、中学、高校そして大学の同窓で、今は共に現役の医師として医療の末席を汚している。作品が映画化されたのでと、鑑賞券を送ってくれた。いい映画であり、一人でも多くの人に紹介したくて、彼に送った感想をBLOGに載せることとした。

大鐘稔彦兄
 「孤高のメス」拝見。素晴らしい映画で、見終わった後も温かい気持ちにさせられました。よい時間が持てて感謝。僕が見に行った月曜日(7日)の夜は、広い映画館に老夫婦と僕だけ。人ごとながら興行成績はと心配しましたが、ヒットしているようですね。小説には大鐘ワールドが出過ぎだと、やや批判的な印象を持っていましたが、映像では、君が強い向上心を持って、メスの腕を磨き臨床の現場で格闘した姿がストレートに描かれていて、清々しい物語に仕上がっていました。職場の同僚たちに是非見るようにと勧めています。医学書から文芸書と幅広く著作活動をして、友人ながら忙しい日常診療の合間によくやるよと思っていましたが、こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、最も読者に愛される作品は、今回の映画「孤高のメス」のように思います。長く愛される作品を一つものにした。君の長い間の奮闘が、報われたのではないでしょうか。本当に嬉しいことでした。よき業にはよきご褒美を、悪しき行いには裁きをと、どこかで私たちを見守っている人がいるように思います。
 この映画の噂を所々で聞きますが、僕は違った感想を持っています。この映画に厚みを与えたシーンは、脳死に陥った愛する息子の臓器を提供する母親が、リアルに描かれているところだと思います。日本では臓器移植だと、人の臓器をもらって生きることに対する執着の善し悪しが声高に論じられますが、臓器移植は、あくまで使える臓器を提供するという善意に支えられていることがはっきりと主張されています。多くの人の心を知らぬ間に打ったのではないでしょうか。それが、主人公の真摯に医療に取り組む姿と重ね合ってヒューマンドラマになったのでしょう。臓器提供のエピソードが重要な役割を果たしています。臓器移植に対して日本人が見落としがちな視点を提供したという意味でも、「孤高のメス」は価値ある作品でした。
 身近に有名人が出ると自分のことでもないのに自慢げに話す人がいて、いい加減にしてもらいたいという気分にさせられますね。今回ばかりは、小生が君のサイン入りの「孤高のメス」を持ち歩いて、君との関係を吹聴して、周囲のものを煙に巻く醜態を演じました。馬鹿なことをやりたくなるものですね。ただ多くの人が映画を見てよかったと言ってくれていますので一安心。

by rr4546 | 2010-06-15 15:51 | その他 | Comments(0)

迎春

迎春

昨年は孫たちのためにと「一神教的思考様式を学ぶー創世記」を自費出版しました  献本と押売り以外、丸善から一冊だけ売れました 今年は「高齢者医療のイロハ」と題する臨床に役立つ本を書き上げたいと思っています 出費ばかりを重ねて周囲のものを呆れ返させています

本年も皆様にとってよき年になりますようお祈りいたします

平成二十二年元旦

by rr4546 | 2010-01-05 13:47 | その他 | Comments(0)