医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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創世記  番外編―日本人論

少し寄り道-固有の文化
 一神教的な知の枠組みを持つ人たちの愛、希望、自由そして平等に対する思いは、わたし達の親しんでいるものと必ずしも同じでないかもしれない。そう言われてもわたし達と彼らの日々の営みに大きな違いがあるようにはみえない。腹が減れば食べるし、やりたい時はやる、思いやりもあれば憎しみもある。仕事に励むし、レジャーも大切にする。愚かであるし、賢明でもある。多くの過ちを犯すが、よいことも少しはする。ただ聖書やクルアーンを読んで生きる糧を学ぶことができる者とできない者がいる。ダンテの「神曲」を魂の浄化の物語として大切にする者と砂を噛むような思いで古典と認めない者がいる。もののあわれ、わび・さびの情緒を重んじるものと、合理と論理の中で生きようと知恵を磨くものがいる。実際子安宣邦氏や保阪正康氏の描く日本人論と渡部昇一氏や中西輝政氏の描く日本人論は全く異なる趣がある。自虐的だ、無謬と誇りばかりを描いて、復古的で空想的で反省がなく、過ちを繰り返そうとしていると二つの日本人論の間の溝は埋まりそうにない。正しい歴史解釈などないのですから喧々諤々と議論を深めればいい。
 ただアンドルー・ゴードン著「日本の200年 徳川時代から現代まで」やイアン・ブルマ著「近代日本の誕生」をわたし達の正しい歴史解釈と認める人はほとんどいないのではないでしょうか。ただ一神教徒には近代日本の歩みがそう見えることは理解しておかなければならない。世界の人たちは彼らの日本人論を読んでいると思う。矢張りわたし達の想像を超える一神教的な精神世界があるように思う。
 一神教的な知の枠組みに親しむか親しまないかを抜きにして、わたし達には異質なものとして、謙虚に学び参考になることがあればなんでも取り入れればそれでいいでしょう。食わず嫌いはよくない。自尊心だけを頼りに孤立して平気でいるのも可笑しいし、金魚の糞のように強いものに従順だけではみっともない。
 ほんの半世紀ほど前、こぞって火の玉になって新秩序建設のために「野放しになっている資本主義が生み出す格差社会と非道徳を乗り越え、日本固有の文化を花開かせて退廃的な欧米文化を凌駕しなければならない」(アンドルー・ゴードン 日本の200年)と信じて闘った野心を実現するために今こそ真剣な努力を払わなければならない。縄文時代や江戸時代の精神や文化を拠りどころにして、グローバルな難問に立ち向かっても、無残な結果となるように思う。問題は当時より遥かに根が深く、捩れている。近代的合理精神や一神教的な知の枠組みを憎み、アメリカ化を諸悪の根源であると断じて、それに対抗するために繊細な美的感受性をとの主張は、かってわたし達を熱狂させたが何も生み出さなかった言説を蒸し返しているに過ぎないでしょう。彼らの主張は太平洋戦争後の平和愛好、民主主義そして基本的人権の尊重を説く憲法の中でほとんど取り入れられませんでした。当時は儒教的精神や仏教的信念を共有する東亜の新秩序と東アジアを射程に入れていたが、現在は日本独自の縄文の精神をとさらに孤立を深めています。
 欧米の秩序とは異なる、新しい国作りのビジョンを示さないで、「従軍慰安婦の強制連行を直接示す資料はなかった」とする答弁書が女性を含む大臣たちの閣議で決定されたという。これは「『諸氏に告ぐ』と特攻隊員たちに檄をとばした司令官が、戦後になって、『あれは志願であった』と平然と証言しているのを見て、その無責任さにあきれはてることも多い。」(保阪正康 昭和史の教訓)と同じ風景でしょう。従軍慰安所を利用しながら、慰安所に女性が志願してきたかのごとくの決議を出すことが、わたし達の誇りを回復することに益するとは思えない。強制しないで遊んでどこが悪いのかと開き直っても何か居心地が悪い。悪かったのは慰安所に職を求めに来た女性たちがいたせいであると言い張っても、心が痛まないのはどこか可笑しい。そこまで無謬と自尊心ばかりを求めると、多くの友人を失う。慰安所の女性を人間以下に扱う。この決議に対して抗議をしないと、女性は男性を心から愛することができないし、愛されて喜びを感ずることもないでしょう。無謬と自尊心だけを拠りどころに生きているとそういう発想が生まれるのでしょう。今は多文化や多言語が共生する世界を目指す時である。
 縄文時代を送っていた時には、中華文明やギリシャ・ローマ文明は遥か先の成熟を迎えていました。民主制を基本とするポリスを発達させて、法治主義を基本とする統一国家が作られていました。理性を信頼するプラトニズムは現代でも通用する哲学を完成させ、今でも鑑賞に堪えうるミロのヴィーナスの美を造形していました。江戸時代にはイギリスを中心としたヨーロッパでは産業革命で多くの成果が生み出され、市民革命の萌芽が見ら、近代国家の先駆けであるアメリカの独立やフランス革命が新しい市民に歓迎されていました。わたし達は18世紀に建国されたアメリカ以上に、理念を持って国つくりを経験したことのない若い国民であると思います。過去を誇るのに汲々とするのではなく、新しい時代を担う政治的、経済的、道徳的な知恵を創造する努力が求められでしょう。

Commented by 銀河旋風児 at 2007-03-23 21:36 x
「成熟した人間」であるのなら、それぞれの多様性・自由は尊重されてよいと思いますが、やはり絶対的・・共通の美徳みたいなものが必要だと思います。それを新渡戸稲造は武士道に求め、日本脳風土に合った徳目として海外に紹介したと理解しています。
無謬性に固執しないのが本来の日本人であってほしいと僕は信じていました。今回の従軍慰安婦問題、河野談話の見直しの閣議決定は、世界に日本の歴史認識の無知さをさらしてしまった国辱ものの決定だと感じています。

文化は人間がいる限り形成されるものであり、日本はやはり独自の文化があったと思います。しかし、成熟した文明の恩恵をこうむりながら文化を形成していったことを脇において考えようとする今の政治屋の姿勢には疑問です。
グローバルスタンダードだといいながらも自国の無謬性に固執する姿・・・それは他の国の人々からみると滑稽なのでしょう。
by rr4546 | 2007-03-18 21:28 | 日本人論 | Comments(1)