医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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超高齢社会の医師の役割 寄り道 認知症患者の自己決定、早期診断、polypharmacy、マスメディアに対する医療監修―第31回日本老年学会開催にあたって

2月16日土曜日夜10時のNHK教育テレビの「スイッチインタビュ 大野和志×原田マハ」を見るために、開始5分前に教育テレビにチャンネルを合わせたところ、現役介護士が司会者の質問に答える形で「病院の受診を拒否した認知症疑いの患者にどう対応するか」について解説している番組が放映されていた。

認知症疑いの高齢婦人(もちろん役者である)がドラマの中で受診を拒否している。「病識のない患者に頭の検査を受けると言えば、なぜ私がボケているかと受診を拒否する。そういう場合は直截に認知症の検査と言わないで、役所から送られてきた健康診断の勧めを手掛かりにして、一度健康診断をと患者を騙して病院に連れていくように」という手が紹介されていた。

最近は認知症患者が自分はどうしたいかを発信するらしい。そして、認知症患者を何も自己決定のできないボケ人間扱いをしないで、患者の希望することにこたえるよう社会全体が取り組まなければならないという主張が認知症専門医の中のトレンドになっている。

大抵家族が家庭生活や社会生活で不都合をおこし、受診してくる病識のない患者しか診たことがない私は、必発する短期記憶障害のために自分がへまをしたと過去を振り返ることのできない患者が、論理的にかつ一貫性を持って自分の将来についてと語ることのできる認知症患者がいることなど想像できないが。

しかし認知症患者が認知症患者の相談に乗る場面がマスコミで伝えられる。前回相談にのった内容を忘れて、訳の分からないコンサルタントになって事態を一層ややこしくする、それが認知症という病気であると思うのだが。

中には認知症であるが、仲間とともにボランテイア活動に参加したいと、健常者に交じって活動している患者も紹介されている。

そして専門家たちは、認知症患者の自己決定を尊重するよう熱く語る。

MCIの患者は、私はボケていないかと心配される方は多い。ただ大変しっかりと会話される―取り繕いは軽度認知症患者の特徴であるーが、認知症だと病識を持っておられる認知症患者に私は出会ったことがない。元気のいい認知症患者は,coming outすることによって何かメリットがあっるのではないか、例えば病気を理由にして、ローンの返済を免除される、講演が舞い込む、経験談が出版できるなど。悲しい。

こういう状況の中で、受診を希望しない患者を、騙して病院に連れていく。患者が希望しなければ、患者の決定に従うのが今推奨される患者対応ではないのか。専門医たちは、口だけで患者の自己決定ときれいごとを言いながら、騙して病院に連れていく状況に対して何も発言しない。自己決定どころか、自分の言いなりに患者をもてあそんでいるではないか。抗認知症薬の服用についても、患者の希望を聞いて処方しているのであろうか。聞いていない場合が大部分であろう。あるいはこの薬の有効性や副作用について説明してから処方しているのであろうか。やっていない場合が大部分であろう。

こういう内容の番組を素人の放送関係者が製作したとは考えられない。この番組の監修をした専門家集団はどこの誰なのであろうか。

ともあれ、自己決定を進めながら患者を騙すことに権威たちは痛痒を感じない。患者にとって何が一番望ましい状況なのかについて国民自身が考えなければならないであろう。

その上番組では、騙してでも受診させなければならない理由を列挙していた。まず最初に強調されていたのは「早期診断は早期治療に結びつく」と長い間専門医たちが講演などで旗振りをしていた合言葉である。

認知症はMCIを経て、認知症に進むのが一般的であるが、MCIに抗認知症薬を投与しても、認知症への発症頻度を下げられないというのが、現在の医学的結論である。そして認知症になっても抗認知症薬は、ADASとかSIBのような薬効だけを見るために開発された効果判定基準では見掛け上、効果があるように見えるが、認知症に見られる記憶障害、見当識障害、判断力と問題解決能力、社会生活、家庭生活の破綻などの複雑な全般的な認知障害には臨床的な効果がないということになっている。副作用は必発。小生の5,6年前からのBLOGと拙著を 参照。そしてフランスの医学会も昨年、抗認知症薬の治療薬としての有効性を取り消した。フランスでは4種類ある抗認知症薬すべてが保険診療では使用できない。日本ではこれらの薬が1000億円以上使われているというのに。嗚呼!

「超高齢者社会の医師の役割」という今回の連載の中で、強調するつもりであるが、超高齢者の医療は明らかにQOLを改善する臨床効果が認められる医療に限ること、いわんやQOLを損なう副作用が少しでもある場合は絶対に行うべきではないという立場からすれば、抗認知症薬投与という医療は何一つ正当性が与えられない。効果があるかどうかも議論がある上に、不穏、介護拒否などの副作用がある抗認知症薬をどのような医療目的で高齢者に投与されるのか、私の想像を超えている。

患者を苦しめる副作用がない上に、患者のQOLを改善して残された人生を穏やかに過ごすことができる医療しか行うべきではない。

念のために言っておくが画像診断や分子マーカーを使った早期診断(JANDIなど)や、田中耕一博士が最近開発した血液一滴でアミロイドβタンパクとその類似物質の比率の動きからAlzheimerを発病数十年前から診断できる方法も、根治薬のない現在は、患者に絶望を与えるだけなので、その方法を使った診断結果を告知しないというのが、アメリカ医学会の指針だったと思う。私はこの決定は現時点では極めて倫理的な判断だと考える。

それなのに早期診断で早期治療とテレビで伝える。この説明はfakeであるという専門家はいない。発言するとどこかに義理が立たないとでも思っているのだろうか。彼らは自分たちの役割を自覚していない。

抗認知症薬はすべて脳の神経伝達物質を介して効果を期待されている薬である。従って不穏、興奮、介護拒否、傾眠などの患者を苦しめる中枢神経の刺激症状が出る。それにも拘らずこれらの症状を病気のせいにして、向精神薬、抗痙攣剤、漢方薬、抗うつ薬の投与あるいは精神病院への強制入院が時には行われている。精神病院に入った患者のpolypharmacyは、よくここまで薬を考えたか驚かされることばかりである。これが現在の認知症医療現場である。上記の多種類の薬を投与しなければならないのは、抗認知症薬によって招来される精神症状があるためである場合が大部分である。逆ではない。Polypharmacyを招来した原因薬を残して、polypharmacyを克服できたと主張するのもfakeである。

Polypharmacyの患者の中に認知症の患者が多く含まれる。ボケた上に暴力行為に及べば、多くの薬を投与せざるをえない。何のことはない、抗認知症薬を止めれば、polypharmacyの犠牲から患者を開放させることができる。抗認知症薬を継続して、向精神薬を中止できる。薬の薬理効果を考えてもあ逆はあり得ない。このことについて拙著と最近の小生のBlogを参照いただきたい。

認知症疑いの患者をどうするかというTV番組の紹介から、現在の認知症医療現場の荒廃した状況を一日でも早く改善するべきだと日頃思っていることにあれやこれやとまとまりもなく書いた。

今月郵送されてきた日本老年医学会雑誌に6月6日から3日間仙台で開催される第31回日本老年学会総会の講演で「老年学における認知症研究の最前線」、「高齢者の地域生活における権利擁護を考える」、「認知症の人と家族へに支援」など認知症医療現場をより良くしようとの演題が多く挙げられているのを見たからである。日本認知症学会も同じようなテーマでこの数年間、学術講演会をしていると思う。

しかし私がいつも指摘しているような、抗認知症薬の効果、抗認知症薬の副作用、認知症患者のpolypharmacyなど現場で困っている喫緊の問題につい本当に患者の側に立った建設的で、実効ある向き合い方をこれらの学会は提言していないと思う。ヘボな私が同じことをワーワー言い続けているだけである。これはどこか可笑しい。

認知症に携わる専門医たちが、本当に患者の側に立った行動を起こされるのを期待して今回のBlogをまとめた。

影響力のある権威たちがこれからますます増える認知症にまつわる問題を解決するために指導的役割を果たされることを心から願っている。


by rr4546 | 2019-02-20 19:05 | 医療関係 | Comments(0)