医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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9月18日NHK放送「老衰死・穏やかな最期どうすれば迎えられる」雑感―穏やかな死は餓死か?

高齢者の終末に立ち会う機会-そうはいっても一年に3、4回だがーの多いわたしは、学ぶことがあるに違いないと表題の番組を見た。
今思い出しても後味が悪い。このような死の迎え方が尊厳ある穏やかなものとして、公共放送のプライムタイムでなぜ流されたのか不思議でならない。
高齢者施設で仕事をしている石飛幸三氏や中村仁氏が著書「尊厳死のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」や「大往生したけりゃ医療とかかわるな」で、老衰と呼んでいい最期は、すべての医療処置を止めるのが、患者にとって最も穏やかな死の迎え方であると強く主張しているのは知っていた。
死を迎える患者に対するかれらの対応に違和感を抱いて、以前BLOGで終末期にすべての医療処置を止めることと、最小の水分補給と酸素吸入をすることの両者を比較して、何もしないことが本当により穏やかな死を迎えると言えるかについて、比較研究をした上で結論を出すべきであると指摘しておいた。
番組の中で確か二人の高齢者の死に行く姿が描かれていたと思う。特に後者の例は、息子家族そして海外で学生生活を送っている孫なども病床にかけつけて、母親が全く医療処置を受けないで亡くなられるのに立ち会う姿が描かれていた。亡くなられたあと家族は穏やかな死を迎えたと感謝しておられた。医療スタッフと家族が信頼しあい、納得のうえで93歳の御母堂を見送られたという流れに、すべての情報が手元にない第三者がいろいろコメントすることは、ピント外れなことをいったり、当事者たちを無意識に傷つけたりすることがあるので差し控えるべきであろう。
しかし高齢者の穏やかな死について少しでも多くの人に議論していただきたいので、後味の悪かったことを2点だけ指摘しておく。何も状況を知らないで勝手なことを言っているとの抗議があればすべて公開する。
まず一点目は経口摂取ができなくなった時点で、水分補給も中止した。ただ好きだったアイスクリームを口元にもっていくと、映像からは唇でなめておられ、その後喉の動きから嚥下運動をおこしたように見えた。
意識がなくなり、食事介助で食事―多くの場合高カロリーの栄養ゼリーあるいは水分であるーを与えても口にためて込んで嚥下しない状況が数日続いた時点で、私どもは経口摂取ができなくなったと判断する。この患者の経口摂取が不可能になったという判断は何を基準に行われたのであろうか。いやこの判断に間違いがあると異議申し立てしているのではない。
経口摂取ができないと同時にあらゆる医療処置が止められたことについて議論したいのである。この夏も猛暑で熱中症のために高齢者の多くが病院に搬送され、少なからずの人が熱中症で亡くなられたと報道された。熱中症は脱水による臓器の血流低下と多臓器不全で、症状として主なものは、めまい、失神、頭痛、吐き気、強い眠気、気分が悪くなるなどである(Wikpedia参照)。
しかも水分不足が数日続いたのではない、1,2日間の水分摂取の不足で発症している。かくのごとく人間にとって水は命の元である。今回の高齢者も経口摂取をしないで、水分補給も全く受けなければ、素人が考えても水分不足による熱中症まがいのめまい、頭痛、吐き気、不快な気分が観察できるほどの症状がみられなかったとしても、あるいは訴えがなかったとしても、患者にあったと考えるのが妥当な判断であろう。水分補給も中止して、不要な苦しみを自覚しないまま与えた可能性について考慮されていたのであろうか。
意識もない、死も迫っている。熱中症のようなことが起こっても放置する、とても穏やかな死であると言えないと思う。経口摂取ができなければ、水分と最低限のNa+などの電解質を補うというのがわたしの方針である。(症例から学ぶ高齢者疾患の特徴とその対応 死の看取り p77-86参照)。熱中症まがいのことで患者を苦しめたくないからである。
もう一つは死期が迫り呼吸が荒くなり、看護婦かあるいは家族が足の変色に気付き、これは呼吸が十分でないための酸素不足ですというような会話がベッドの傍でおこなわれていた。明らかな酸素不足の兆候である。これを私たちはチアノーゼと呼んで、酸素補給を開始する目安の一つとしている。現在血中の酸素濃度は指で瞬時のうちに測定できる機械がある。そのような処置がなされた気配は全くない。私どもは酸素濃度が90%切れば酸素補給を開始する。
呼吸状態から見れば、健康な人が思い切り400m位を走った後の酸素濃度であったであろう。その息苦しさは誰でも想像できるし、想像できない人は400m走った時の、心臓の拍動と息苦しさを体験してもらいたい。
死に行く人だから400mを走った後の息苦しさくらいは我慢してもらうかというほど、ベッドの周りには切迫感がなかった。酸素の補給や呼吸困難の処置についても同上の本の中でわたしは記載した。わたしの処置と、映像で見る93歳の高齢者が受けている処置は余りにも違う。
高齢者で、老衰というしかない死は稀ではない。そしてそのような場合の尊厳ある穏やかな死について、仕事柄考えないことはない。
今わたしが一番心掛けているのは、死に向かう人が対処できる苦しみの中でー誰が死を前にして苦しみたいであろうかー命を終えることがないよう、最善の努力を払うことだけである。尊厳ある死は苦しみがあっては成就しない。穏やかにすることに工夫を凝らして尊厳のある穏やかな死のお手伝いができる。
わたしが行っている死に行く人に対する態度と、テレビで放映された状況があまりにもかけ離れていることが、番組終了後の後味の悪さの由来であろう。まだ指摘したいことはある。しかし素人の方に死の恐ろしさを植え付けることになるのを危惧して控えておく。ともあれわたし自身だけでなく身内も、芦花ホームで最期をを迎えることはない。
死に行く人に対して何も医療処置を行わないというのは、特養や老健のような高齢者患者の多い施設に限ったことではない。在宅での看取りでも行われている。急性期病院でも家族からこれ以上の延命処置は望まないという場合に行われていることがある。
死は避けがたい。ただ無駄な苦しみをとり、穏やかに天寿を全うできる手助けを、勝手な思い込みでわれわれの数少ない最後の務めを安易に放棄してはならない。いや今回の現場では無処置以外の対応の選択肢が思い浮かばないのであろう。NHKの番組を見て、死ぬことの恐ろしさを再認識した人は少なからずいたと思う。これは番組が伝えたかったメッセージとは正反対なことであろう。
しっかりとした医療監修者はNHKの医療番組制作スタッフにいないのか。偉い先生が後ろ盾になっているから安心だという安易な考えで、独りよがりな穏やかな最期を提案したのではないか。認知症に関する報道もしかりである。いい加減にしてもらいたい。籾井勝人会長の指示か?

by rr4546 | 2015-09-22 15:13 | 医療関係 | Comments(0)