医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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認知症国際会議 No11 思いつくまま改訂の改訂 No1 超高齢者認知症患者ーNHK番組批判ー

認知症医療現場は荒廃していると繰り返し述べている。なにか改善の兆しがあればいいのだが。変わった御仁があーでもない、こーでもない、うるさいと思われるのならまだ浮かばれる。荒廃などしていないと勝手に信じ込み、医療(?)に励んだり、今受けている医療を全面的に信頼されたりしておられる方ばかりでは、当方としてはお手上げである。ただ荒廃しているとの指摘を変わり者のたわごとと無視しておけばよいとも思われない。現場で経験したエピソードを思いつくままに箇条書きしておく。
超高齢認知症患者
先日、93歳の見るからに上品な女性がAlzheimer型認知症(AD)の診断のもとで認知病棟に短期入所(ショートステイ)してきた。入所時に名前、生年月日(年齢)、家族関係(子供さんや孫の名前など)、誰と来所したかなど認知障害の程度をおおよそ把握するために簡単な問診をするが、彼女とまともな会話が成り立たなかった。疾患による症状かもしれないが、眠っているようであり内服薬の副作用に違いないと持参薬を見ると傾眠の副作用がある抗認知症薬メマリーとアリセプトをしっかりと飲んでいる。重度のAD患者にはアリセプトとメマリーの併用が進行遅延を目的として保険診療で認められている。実際このような症例に対して、2剤あるいは1剤が投与されているのが一般的である。効果は判定できない、しない、そして副作用が出ているなど思いもつかないのに。ガイドラインの勧めに従って、止められないでただただ処方がきり続けられる。
家人にいつごろからボケがはじまりその後どういう経過をたどったかを聞き取った後に、今の状況、今後の治療目標、薬の副作用などについて誠意をもって説明したが、「わたしたちは素人ですから、難しいことはわかりませんので・・・・・」と丁重に対応される、いつものことである。「わからない」とおっしゃれば最善と思われることをお願いしますとの成り行きになるはずだがこれもいつものことで帰り際、看護師に持ってきた薬を必ず服用させてくださいとおっしゃって帰られる。「わかりません」とおっしゃるが、今受けている治療が一番いいと勝手に思い込んでいるのである。
この人の説明はうのみにできない。当方に信頼を得る振る舞いがなかったのだと納得しているが、治療を受けながら改善どころか、不穏になったり、傾眠状態になったりしているのに、主治医を全面的に信頼しておられる不思議にはいつも驚かされる。マイドコントロールは医師だけではなく、認知症患者を抱える家族にまで及んでいる。このような異様な状況がこれからも続くと思うと、自分もうかうかと認知症などになってられないとの思いを新たにする。
超高齢者は90歳以上としたいが、現在では85歳以上を超高齢者といっていいと思う。ただフレイル(加齢による筋力、認知機能そして精神活動の低下があるが、まだ介護を必要としない状態)に対する介入の工夫で、現在より生活機能の維持と向上を図ることができるようになれば、超高齢者の定義はどんどん高齢化していくであろう。
ともあれ今回の症例のような超高齢者の認知症患者の治療目標は、患者を穏やかにそして周りの人とのコミュニケーションを少しでも取れるよう最善を尽くすことである。副作用も聞き取ることができない、そのうえ効果について患者にもあるいは家人にも説明できない類の薬物療法をして、一丁上がりとする現在の医療現場を放置しておくと、認知症医療現場の荒廃は絶対に改善されることはない。言語的コミュニケーションや人物認識もできない重度の認知症患者の治療目標も、超高齢者の認知症患者の治療目標と同じだと思う。ボケた母親に振り回されながら、兄弟・姉妹が協力して相性の良かった娘さんが母親を看取る。井上靖が「わが母の記」でぼけた母親の一つの幸せな?ボケの終末をリアルに描いている。こういうのに寄り添うのが認知症医療・介護者の仕事だと思う。
連れ合いがボケると、癌になった時のような、かけがいのない濃い時間が持てないと嘆かれるが、わたしはボケた人がイノセントな幼児のようになって、連れ合いを深く愛?する姿を実際目撃していることを話す。ボケた人なりに深い愛情を持っていることを家人に強調する。連れ合いはお母さんお母さんというが、わたしではなく、自分の母のことを言っていると嘆かれるが。薬ではこのような関係は作れない。
「認知症の人とともに・課題と最新の取組み」(NHK6月20日)で周囲の理解を深め、周囲の人たちの協力そして訪問看護・医療で認知症患者が穏やかに生活できるようになったとのシンポジウムの番組を一部見た。スポーツジムから帰って気が付いたときは、番組が半分以上終わっていた。番組のメッセージは全部読み取っていないかもしれない。相変わらず、メッセージはピントが外れている。
わたしの経験では、認知機能障害が出現したり、認知症と診断されたりした人たちの認知機能を改善したり、穏やかな生活を作り上げることができるのは、集団(社会的接触の増加)で脳活性化リハビリに取り組むしかない。訪問看護・医療のような短時間で閉じられた人との接触では、決して効果は見られない。患者の本当の状態を把握できない。番組の中で訪問看護で効果があったあったと医者と看護師がコメントしていた。短時間の看護・医療で多くの不利益を招いている例にたびたび遭遇している。司会者も相変わらずの笑顔で最新の取組みと持ち上げている。認知症をテーマにしていると、退職後の生活が豊かになるのであろう。ヨーロッパ(?)の認知症の最新の取組みという番組もオーガナイズしていた。番組の中で一般名でない特許の切れた商品名であるアリセプトを繰り返していた。色々な分野(あえて詳細は触れない)の人が認知症を食い物にしている。嗚呼!
出演者の顔ぶれから私の見なかった番組の前半は「認知症カフェ」の有用性の話だったかもしれない。わが国でこのカフェを考えるなら、外国のシステムの真似ではなくて、15年以上の蓄積がある、わが国の行ってきたデイケアやデイサービスの発展形でなければならない。わが国の成果から導かれるカフェについてもいずれ論ずる。(寮隆吉、他2名 改変センター方式を用いる介護による認知症患者の対応。 京都医学会雑誌 58:71-76、2011)。
わが国には、フレイルな高齢者や介護を要する高齢者のためにデイケアという、介護士たちが取り組んでいる集団で、リハビリ(彼らはレクレイションと呼んでいるが)を行うケアシステムがある。
次回は、デイケアで行われていることを紹介して、介護士たちの努力がなければ、現在介護放棄された老人(ボケを含む)が巷に溢れていたかもしれないことを書く。
厚労省の認知症対策に取り組む官僚も、先輩たちが作り上げた世界に誇っていいードイツの真似をしたらしいが、わが国独自の進化を遂げている。倣ってトップに躍り出るのは、わが国民の優秀さの証であるーシステムの果たしている役割を知らないらしい。繰り返し言うが、君たちの先輩が命を懸けて作り上げたシステムなのだ!その際彼らが何を排除して、首を取られたかについてはすでに書いた。彼らの先見の明にこそ思いをはせるべきである。介護施設が果たしてきた役割とその成果についての客観的な評価をすべきである。15年以上たっても次に進むための成果を生んでいなければ、その改革に取り組まなければならない。聞くところによると、8兆円の費用が掛かっているというではないか。それを磨き上げるしか向かっていくところはない。その道こそ最善な認知症対策になると私は信じている。今進めている頭でっかちの、聞こえのいいもろもろの対策の有効性の評価をしなければならない。
今更、ろくに患者を診ていない連中の力を借りて新しいインフラを作る余裕はない。
しばらく私の実際に体験したエピソードを基に、今までにどんな成果をあげ、現在どのような問題があるのか、今後何をしたら良いのかを書いて、「認知症国際会議」の項を締めくくる。
続く

by rr4546 | 2015-06-19 21:28 | 医療関係 | Comments(0)