医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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Alzheimer型認知症の早期診断 No18 病識の欠如・取り繕い No3 

物忘れがあるからAlzheimer型認知症(AD)と診断できるのではない。素人の方や結構多くの医療関係者も物忘れ、即ADと思っておられる。実際85歳以上の物忘れが激しい多くの方も、ADと診断されてADだけに適応がある抗認知症薬ががばがばと投与されている。
一度、ADと専門医が診断した85歳以上の症例に限って現在認められている4種類の抗認知症薬の臨床的な有効性を調べるべきである。認知障害の遅延効果は全くなくて―判定できなくてー、副作用ばかりがあることがはっきりすると思う。ADの診断と治療について書いていると寄り道ばかりしなければならない。認知症医療はどうしてここまで荒廃したのであろうか。
ここは認知症の早期診断の話であった。
あれあれ、これこれと思い出せなくなる加齢による物忘れーもちろん85歳以上の加齢による記憶障害は今書いている記憶障害とは様相が全く違う。数分前の体験を完全に忘れる。ここでは詳しく論じないが記憶障害だけを見ればADと似ているがその他の認知障害はADと明らかに違うーとADに見られる体験記憶障害との違いと病識の欠如について一部すでに説明した。
今回はさらに病識の欠如と引き続き取り繕いについての紹介である。
早期から病識が失われるのがADの特徴だとわたしは考えている。上田先生はADの中程度のstageでも病識があると書いておられる。
ADと診断できる生活上の不都合が起こる時点では、病識がないというのがわたしの貧しい臨床経験からの結論である。実際、受診は、患者自身の意志ではなくて、家人が患者のただならぬ振舞いに驚いて、始まることが大部分である。患者は病人扱いされるのを大抵怒っておられる。とても病識のある人の態度とは思えない。
その際理解できない行動、例えば自動車の運転でよく道を間違えるようになる、同じ本を何冊も買い込むなどのAD特有の症状は受診する数年前からあったことが身内からの話で明らかになることも稀ではない。本人が最近物忘れが激しい、あるいは判断ミスをすると自覚しないので、早期の症状は見過ごされているとわたしは考えている。病識の欠如もADの特徴といってよいと思う。なぜ病識が失われるかについて、精神病理学的分析や脳科学アプローチで解明されるのを期待する。
患者に質すと、そういえば道がわからなくなるようなことがありました、同じ本を買ってもったいないことをしましたと期待するような答えは絶対に得られない。
こちらはなぜ道を間違えるのか、なぜ同じ本を買うのかを尋ねているのに、新しい車に買い替えましたので、本が好きですからという思いがけない話の成り行きになる。
本人の自覚と家族の印象が違うことがADの診断の重要なよりどころになるともいえるであろう。ADに特徴的な取り繕いを見落としてはならない。
ここが痛いですかと患部を押さえて、患者と問答するのとは様相が全く異なる。
学生時代のポリクリで、統合失調症の最も重要な診断の一つは患者と自分との間に「壁」があることだと教えられた。長い間医療に携わりながらその感覚がわからなかった。
ADの患者の診察現場では、こちらの意図と全くずれたやり取りがよくおこり、あれこれは可笑しいという「壁」をAD患者に感ずる。
記憶障害があることを自覚しないので、なんとか話のつじつまを合わせようとして聞き手に「あれっ」という印象を与えるのであろう。早期の段階ではたわいもない話は大抵成り立つが。
この印象をよりどころとして、ADと糖尿病性認知症とか、加齢関連認知症などの他の認知症とわたしは鑑別をしている。
このADに特有なこちらの質問の意図をそらす振舞いは、教科書にも書いてある患者特有の「取り繕い」と言っていいであろう。ADについてまともな教育を受けていないので独学で学ぶしかない。間違っているのかもしれない。
診察のあとで家人は「先生の前では別人です」とおっしゃるのが一般的である。多分白衣を見て、患者自身が「病人扱いされたら大変」と取り繕われるのであろう。病識がなくて取り繕う。
病識がないのと取り繕いは、ADに特有な脳の障害の表と裏の関係にあるのではないか。
病院に来れば症状を大げさに訴えられるのが一般的なのに、AD患者は元気であることを必要以上に示そうとされる。取り繕われる。
記憶がすっぽり抜けるという体験記憶障害、病識の欠如と取り繕いがADの重要な初期の症状だといってもよいと考えている。これが揃わないのに軽々にADと診断すると、やたらとAD患者が巷にあふれる。数百万人のAD患者がいるというのが、認知症医療の権威の結論だが、真正のADがそんなにいるのだろうか・・・・。
しかし別な見方をすれば、周囲の者が観察している患者の記憶障害、論理的思考の破たん、日常生活の遂行異常と同じことを患者自身が自覚していないかもしれないが、追い詰められたように必要以上に取り繕うのは、患者自身も何か頭の中で、異常な事態が発生していることを自覚―病識があるーしていることを示しているのかもしれない。しかし正しい病識は初期から失われているというのが現在の私の結論である。
ADを早期診断するためには、体験記憶障害、病識の欠如そして取り繕いについて注意深く観察することが重要である。
「ADは治さなくてよい」と一見、病との消極的な接し方をなぜ勧めるかの話の前に、若い医師が取り組んでいるValue-Based-Medicine(多様な価値に基づいた医療)というごく当たり前の医療の在り方について紹介しておきたい。
加齢現象や不治の病に対しても、医療で何とかという思い上がった珍説が世間では受けが良い。この不遜な考えから目を覚まさなければADとはまともに接することはできない。

by rr4546 | 2014-08-07 21:29 | 医療関係 | Comments(0)