医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
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よき高齢者医療を目指して No.4  在宅医療は医療と呼べるか?

介護を要する心血管系、内分泌系等主要臓器に異常がある高齢患者はどこで診てもらっているのであろうか。国が進めている住み慣れた自宅、療養型病床と呼ばれる昔の老人病院、そして在宅復帰を目的としている老健そして終末期の生活の場と位置付けられている特養などで介護と医療を受けているであろう。グループホームや介護付き有料老人ホームの住人も往診あるいは外来受診で同じサービスを受けている。   その中で、国は在宅医療を充実させて、これから増える高齢患者対策―団塊世代が高齢化するので、現在の年間死亡者数は120万人から20年後は160万人に達する!ーを進めている。往診だけを専門とする開業医も、最近は増えている。病院や施設に入った時と同じように、自宅でも医療、看護、リハビリそして口腔ケアが受けられるよう、在宅での医療・介護の体制は現在でも驚くほど整備されている。年間160万人が亡くなれば、現在の病院・施設では対応できない。在宅医療・介護はこれからも手厚く充実されていくであろう。方向性は正しい。                      限られた時間内で、高齢者の肉体的ならびに精神疾患に対して適切な医療が行えるかどうかについては、24時間、多職種で患者を診て初めて、高齢患者を診ることが出来ることを知っているわたしにはかなり難しいと感じる。テレビで往診現場を見ると、医師は医療を行っているというより、患者の心の支えの役割を果たしているようにみえる。「おじいちゃん元気そうだ!」と往診医はいつも励ましている。診察は短時間で、本当に医者が出掛けて行く必要があるのか、その前後のやり取りをみていないのでわたしにはわからない。往診学の研修を受けた名医が多くいるのかもしれない。ただ往診先の医療行為は、ざっと考えただけで看取りを含めて5疾患位、行う医療処置は多めに数えても10種類くらい。テキストブックを作れば医師でなくてもやれる類のことばかりのような気がする。実際、医師免許を持っていれば、臓器別の専門医でもすぐ総合医である往診医になれる。産婦人科を長く専門としてメスを持つ手がおぼつかなくなって、内科を標榜して往診医に転身している例も多い。                                                  南田洋子を知っておられる方は多いと思う。認知症を70歳くらいで発症して、おしどり夫婦として有名であった俳優長門裕之が長い間、看病し確か75歳で、昨年だったか死亡した女優である。実名で語るのを躊躇したが、お二人ともすでにこの世を去っていること、南田氏が認知症でることを、夫である長門氏が告白し、お二人の闘病生活をTVなどで公開していたことなどで話を分かりやすくするために実名を使う。南田氏が認知症と診断されてからどのような医療や介護を受けたかについて全く知らない。ただ亡くなったのは自宅だったと記憶している。最後は病院に運ばれたかもしれない。南田氏は重度の状態で最終ステージではあったが、認知症で死んだのではなくー認知症で死ぬことはないー、報道から推測すると、誤嚥か何か突発的なアクシデントで亡くなられたのであろう。嚥下障害が出ても、在宅で診る度胸のある医師は余りいない。食材の工夫、食事時の姿勢そして口腔ケアと介護は大変だから。だから、わたしは病院か施設に入れておくべきだったと言っているのではない。中村仁一氏が「大往生したけりゃ、医療とかかわるな」という題の新書版で、高齢者が医療機関にかかることの問題点を指摘した。人生観には違いがあり、彼の勧める医療行為がcontrol studyを行った上でbetterであるからと推奨しているのか、いささか独断に過ぎると感じるが、共鳴することは多い。予後の改善が期待できない疾患―老化も含めてーにかかった時には、医療と関わらないで穏やかに過ごすことに心を砕くことが重要であるとの主張は、特別な症例を除いて正しいと思う。     突発的な死に至るアクシデントがおこった。わたしはお二人が自宅での死を迎える準備をされていたとすれば、それが何か医療機関にいれば対応できるようなアクシデントであったとしても、立派な死を迎えられたと合掌する。                                  南田氏の主治医は、認知症特に、発病状況から見ると典型的なアルツハイマー型認知症は、孤立した状態で診るより、デイケアや老健などの介護体制のしっかりした場所を利用すると、思いがけない認知機能の改善が見られたり、穏やかな死を迎えられる場合が多いことを知った上で、在宅での医療に最善を尽くしておられたかどうか危惧するのである。アルツハイマー型認知症患者の集団生活への溶け込みは、発病前の頑固さや、人嫌いの気質があっても大変スムーズにいく。他者の認識があいまいになるためであろう。女優業という多くの人との共同作業をしなければならない仕事を生業としていた彼女は、とくに集団生活に馴染まれたと思う。往診医が南田・長門夫妻に、認知症になった時、色々のオプションを正確に伝えたのかと心配しているのである。自宅でヘルパーや看護師の24時間体制の介護と、自分の往診だけで最高の医療をしていると考えられていたのではないか。これは限られた情報から描いたわたしのストーリーで、真実はもっと往診医と長門氏との間で、真剣に話し合いが持たれ、自宅での療養を選択されたのかもしれない。その上の療養生活であれば、わたしはそれはそれで立派であったと高く評価する。想像ばかりで色々御託を述べるのはこれ以上控えたい。 在宅での医師の役割のイメージがわかないのである。                        在宅医療などと名付けるために生まれる弊害のもう一つの症例を上げておきたい。胃ろうをつけて在宅で医療を受けている患者が、中村氏が著書の中で示している手か足か判らないほど関節が拘縮して、異様な体型になった患者にも、1日量の栄養補給と水分補給をしている例にお目にかかる。ショートステイでお預かりすると、栄養補給や水分補給を1/2から1/3量に絞るだけで、喘鳴は消失して浮腫も軽減する。短時間で限られた空間での診療ではこの程度の成果しか上げられないであろう。こういう例を見ていると在宅医療など絵に描いた餅ではないかと思える。                                                 在宅医療を充実させたいと考えるなら、臓器別の専門医が増えて、総合医の占める割合が減少している現在、多臓器の疾患を持ち、高齢で予後の限られている患者を短時間で診る往診医の研修を、わたしは義務付けるべきであると思う。症例はそんなに多くはない。それなしで、在宅医療と名付けると、医師が自分の知識だけを頼りに、穏やかな高齢生活をぶち壊す可能性があると思う。                           もう一つ指摘しておきたいことは、在宅で診る医師が一人であるために、医師の独断によって事を運ぶという医療の密室性からくる弊害があることも指摘しておきたい。医療というといかにも善意で行われ、最善なことが行われると、医師本人も患者も信じ込んでいるが、ピントはずれなことを繰り返し、工夫をしないままただただ往診を続けることが起こりうる。在宅という密室では、医師は医療という美名のもとで、独りよがりな医療行為をしがちである。これをわたしは医療の落とし穴と呼んでいる。10年前以上にそのことについて論じた「医療の落とし穴」を次回はこのブログにアップしておきたい。                                   在宅医療は患者自身の気持ちを尊重するためにも、将来の日本を考えても充実させなければならない。そのためには医療側で工夫や努力をするべきことは多い。わたしの今の見解は、在宅での療養は医療と呼ぶのではなく、在宅介護・看護と呼ぶべきであると考えている。成果も医療によるより、介護で得られる方が遥かに多い。在宅医療と呼ぶが医師の役割は誠に限られたものである。そのことをはっきりさせないと、往診は儲かると、患者の囲い込み競争にうつつを抜かしたり、医療と呼べない診療行為に国民が高額な医療費を払わなければならない事態を招くと思う。
by rr4546 | 2012-03-13 17:13 | 医療関係 | Comments(0)