医療に関する意見、日本人のあり方に関する意見


by rr4546
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

核武装をするべきである No8 我欲―私益と公益 No2

 わたしにこのたとえ話の信仰的意義について論ずる資格はない。ただわたしたちのような常識が豊かで、その常識に従って、この世を生きていっても何も問題を起こさない人間と違って、常識を規範とするととんでもないことをしてしまう、わたしのような者にとっては、わたしたちが誇っていい常識以外の生きる規範がどうしても必要になる。そこで論語、武士道そして仏典といっても、歎異抄や般若心経の注解本を頼りにするが、一向にまともな生活が送れない。今頼りにしているのは聖書である。聖書を学びながら生きていきたいと思うだけで、横着者のわたしでも、人並みの毎日が送れるように感じる。他人から見ればとても聖書的に生きているようには見えないが・・・・。
 大澤氏が不可解だと取り上げた「不正な管理人」の物語は、イエスはエゴイズム、いや我欲を、この世で生きていく際に、人間の罪・悪と考えていなと言っているのだと素直に解釈すればいいのではないだろうか。ただ人の道を説いた古来からの倫理書や、論語、武士道そして仏典に「不正を勧める」教えが書いてあるとはとても思えない。大澤氏が不可解だと、首をかしげられのがまっとうな反応であろう。
 人の道を説きながら、なぜ聖書は不正を罪として糾弾しないのか。裁くどころか、聖書には邪な人物はいくらでも登場してくる(一神教的思考様式を学ぶー創世記 第3章 ヤコブ物語 邪な神の民p229-238)。信仰の民として讃えられるヤコブが、父・兄や舅を欺き、跡取りの権利を手に入れて財産を増やしてのし上がっていくことを、なにも咎めることなく描き、イスラエル12部族の祖と描いた。こういう物語を読んで、多くの人はなぜこの世に悪があるのか、神は全能ではないかと詰問するであろう。
 それに対する答えも聖書に書かれている。人間が悪を行い、堕落しているのをみて、神は悪を滅ぼすために洪水を起こされた。ノアの物語として有名な神話である(創世記6章―10章)。悪いことばかりを思い計る人たちを滅ぼすために、神は大洪水をおこされた。ただ義人であるノア一族だけは、洪水から逃れるために箱舟が用意され、洪水後も生き残った。堕落と無法は滅ぼされて、この世に正義が満ち溢れたはずであった。ただ裁きの後も、神が期待したようにこの世に悪はなくらなかった。ここが重要なポイントであるが、神は失敗したと言わないで、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」(創世記 8章二十一節)。もう一度悪を裁くと言わないで、あっさりと悪を排除することを諦めてしまう。わたしたちが今でも邪で、懲りずに悪い思いの中で右往左往している理由が見事に書いてあるのである。聖書は「人間はもともと悪いのだ」と、人間が聖人君子でないことを淡々と記載する。
 我欲を悪だと決めつけて、我欲から逃れる道を語る、いささか空想的な規範の本がわたしたちに必要なのか、我欲から逃れられない自分の本質を自覚して、生きていく仕方を説く規範本が必要なのか、大いに議論するべきであろう。
続く

by rr4546 | 2011-07-05 16:03 | 日本人論 | Comments(0)